近衛兵

1872年、廃藩置県の原動力となった天皇直属の「御親兵」が名称を改め、天皇と宮城の警護を担うことになった軍隊は何か?
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重要度
★★

近衛兵 (このえへい)

1872〜1945年

【概説】
明治政府によって組織された、天皇の護衛および宮城(皇居)の警備を主任務とした大日本帝国陸軍の精鋭部隊。1871年に組織された「御親兵」を前身とし、廃藩置県後の官制改革にともなって改称・再編された。一般の師団とは異なる宮廷直属の軍隊として、日本の近代化と軍制改革において象徴的な役割を担った。

御親兵からの改編と近代陸軍の出発

明治政府は1871(明治4)年、薩摩・長州・土佐の3藩から募った約1万人からなる御親兵(ごしんぺい)を組織した。これは、政府独自の強力な常備軍を持たなかった明治政府が、大改革である廃藩置県を断行するにあたり、反発する諸藩を威圧するために急造した中央直属の軍事力であった。廃藩置県が成功し中央集権化が進むと、この軍事組織を近代的な国家防衛の根幹へと再編することが求められた。1872(明治5)年に陸軍省・海軍省が設置されると、御親兵は「近衛」へと改称され、天皇と宮城(皇居)を護る宮廷防衛の近衛兵として正式に発足した。これは、1873年の徴兵令へとつながる日本の近代陸軍形成における重要な過渡期の組織であった。

象徴としての役割と「竹橋事件」による転換

近衛兵は、国家の元首かつ陸海軍の統帥権者である天皇を直接守護する任務を負っていたため、一般の陸軍部隊とは区別された最高のエリート部隊と位置づけられた。兵員の選抜には厳しい身体検査や家系の身元調査が伴い、兵士たちには強い特権意識と自負が植え付けられた。しかし、1878(明治11)年、西南戦争後の恩賞への不満や兵役環境の待遇改善を求めて、近衛砲兵大隊の一部が反乱を起こす竹橋事件(たけばしじけん)が発生した。天皇の足元で起きたこの反乱は明治政府に深刻な衝撃を与え、軍内部の規律統制と政治的関与の禁止を徹底させる契機となった。この事件を機に、翌年には「軍人訓誡」、そして1882(明治15)年には「軍人勅諭」が発布され、近衛兵をはじめとする全軍人に対して、天皇への絶対的な忠誠が要求されることとなった。

近衛師団への発展と宮城事件での終焉

1891(明治24)年、近衛兵は近代的な師団制の導入にともない「近衛師団」へと改編された。最精鋭部隊として日清戦争や日露戦争などにも動員され、日本の近代対外戦争で重要な役割を果たした。昭和期に入り、太平洋戦争が激化すると近衛師団は複数に増強され、主に本土決戦に備えて宮城の警備にあたった。1945(昭和20)年8月15日、日本のポツダム宣言受諾(降伏)を阻止しようとする陸軍の一部若手将校らが、近衛師団長を殺害して偽の命令を出し、天皇の玉音放送を阻止しようとするクーデター未遂事件(宮城事件)を起こした。この事件の鎮圧後、敗戦にともなう日本軍の解体とともに近衛師団も解隊され、天皇を守護し続けた近衛兵の歴史は終焉を迎えた。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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