御親兵 (ごしんぺい)
【概説】
明治政府が廃藩置県を武力的に担保するために組織した、天皇直属の軍隊。薩摩・長州・土佐の3藩から徴募した約1万人の士族兵で構成され、強力な中央集権化政策を断行するための軍事的基盤となった。
結成の背景と薩長土3藩の結集
1869(明治2)年の版籍奉還により、全国の土地と人民は形式的に朝廷(中央政府)に返還された。しかし、実質的な軍事力や地方行政権は依然として各藩が握っており、中央政府の権力基盤は極めて脆弱であった。各地で農民一揆や士族の不満が噴出する中、政府がさらに強力な改革を進めるためには、藩閥の枠を超えた政府直轄の常備軍が不可欠であった。
このような状況下、大久保利通や岩倉具視らは、薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の木戸孝允、土佐藩の板垣退助らを政府に引き入れ、協力体制を構築した。彼らの交渉により、1871(明治4)年2月に薩摩・長州・土佐の3藩から約1万人の精鋭士族が集められ、天皇直属の「御親兵」が結成された。これにより、新政府は初めて独自の強力な軍事力を獲得することとなった。
廃藩置県の断行における武力的背景
御親兵という武力的背景を得たことで、明治政府は同年7月14日、電撃的に廃藩置県を断行した。これは全国の藩を完全に廃止し、中央政府が直轄する「府・県」に置き換えるという、旧大名らの特権を根底から覆す大改革であった。
旧藩主や保守派士族による武装蜂起や激しい抵抗が予測されたが、御親兵が東京に駐屯し、反対勢力に対して強い軍事的威圧を加えたため、目立った抵抗や内乱を起こすことなく、無血でこの断行に成功した。御親兵の存在こそが、近代国家の礎となる廃藩置県を成功に導いた決定的な要因であった。
近衛兵への改組と国民皆兵への道
廃藩置県の成功によって所期の目的を達成した御親兵は、1872(明治5)年に近衛兵へと改組され、宮中の警備や天皇の護衛を担うこととなった。しかし、御親兵とその系統を引く初期の近衛兵は、特定藩の士族のみで構成された「藩兵」の延長線上にあるものであり、新政府が目指す近代的な国民国家の軍隊としては不十分であった。
その後、山県有朋らが提唱する国民皆兵の理念に基づき、1873(明治6)年に徴兵令が布告された。これにより、身分を問わず一般平民から徴兵された近代軍(鎮台)が組織されていく。御親兵は、封建的な「士族の私兵」から、近代的な「国民の軍隊」へと移行する歴史的過渡期において、極めて重要な役割を果たした軍事組織であった。