フランス
【概説】
幕末から明治期にかけて、軍事、産業技術、法制度などの広範な分野で日本の近代化に多大な影響を与えた欧州の強国。幕末期には徳川幕府の後援者として機能し、明治維新後は富岡製糸場に代表される殖産興業や、ボアソナードを招聘した法典編纂のモデルとなった国家である。
幕末期における徳川幕府への接近と軍事・技術支援
幕末の動乱期において、フランスはイギリスと並んで日本の政治動向に深く関与した。駐日英国公使ハリー・パークスが薩摩藩・長州藩などの倒幕派に接近したのに対し、フランス公使レオン・ロッシュは徳川幕府を強く支持した。ロッシュは幕府の権力集中と近代化を支援することで、フランスの日本における利権を確立しようと目論んだ。
この方針に基づき、フランスの技術援助によって横須賀製鉄所(のちの横須賀造船所)の建設が開始され、首長としてフランス人技師のレオンス・ヴェルニーが招聘された。さらに、江戸幕府の陸軍近代化のためにフランス軍事顧問団が派遣され、幕府伝習隊の養成にあたった。戊辰戦争で幕府が瓦解した際にも、顧問団の一員であったジュール・ブリュネのように、軍籍を離脱して榎本武揚らとともに箱館戦争まで転戦したフランス軍人が存在したことは、当時の両者の深い結びつきを象徴している。
産業の近代化と「富岡製糸場」における技術移転
明治維新によって親フランスの幕府が打倒され、新政府が成立した。新政府はイギリスやアメリカを重視する姿勢を見せたが、実業や技術の分野においてフランスの重要性は失われなかった。特に明治政府が最優先課題とした殖産興業、なかでも外貨獲得の基幹産業であった養蚕・製糸業において、フランスの技術力は不可欠であった。
1872年、群馬県に設立された官営模範工場の富岡製糸場には、フランス人技師ポール・ブリュナが首長として雇われ、建物設計から機械の導入、操業指導までを主導した。富岡製糸場に導入されたフランス式の製糸技術は、全国から集まった工女たちを通じて日本各地へと普及し、日本の生糸輸出を飛躍的に増大させ、資本主義発達の基礎を築いた。
近代国家の骨格形成:ボアソナード法典と陸軍・教育制度
明治政府の悲願であった不平等条約の改正には、欧米諸国に比肩する近代的な法制度の確立が必要不可欠であった。そこで政府はフランスの法学者ギスターブ・ボアソナードを御雇外国人として招聘した。ボアソナードは、ナポレオン法典を範としながら日本の刑法、治罪法(のちの刑事訴訟法)、そして旧民法を起草した。彼の起草した民法は「家」制度を重視する保守派の猛烈な反発を招き、いわゆる「民法典論争」へと発展して施行は延期されたが、日本の法学教育や司法制度の近代化に与えた影響は極めて大きい。
さらに、教育分野では1872年の「学制」発布に際し、フランスの中央集権的な大学区制がモデルとされた。軍事面においても、明治初期の陸軍はフランス陸軍の制度を手本として整備された。のちに普仏戦争におけるフランスの敗北(1870〜71年)やドイツ(プロイセン)の興隆を受け、陸軍のモデルはドイツ式へと移行していくが、初期の制度的枠組みにおいてフランスが果たした役割は先駆的なものであった。