端島炭鉱 (はしまたんこう)
1890年〜1974年
【概説】
長崎県長崎市(旧高島町)に位置し、明治から昭和期にかけてエネルギー供給を担った海底炭鉱。1890年の三菱による買収を機に本格的な近代化開発が進められ、製鉄用の優良な強粘結炭を産出して日本の産業革命を支えた。その独特な外観から「軍艦島」の通称で広く知られている。
三菱による買収と海底炭鉱開発の本格化
端島における石炭採掘は江戸時代後期に始まったとされるが、本格的な開発が進んだのは明治時代に入ってからである。1890年(明治23年)、三菱(三菱合資会社)が端島炭鉱を買収すると、豊富な資本力と近代的な技術を投入し、島周辺の海底に眠る炭層の本格的な開拓に着手した。
ここで産出された石炭は極めて良質な強粘結炭であり、当時の近代化に不可欠であった官営八幡製鉄所の製鉄用燃料などとして重宝された。需要の高まりとともに、狭小な島周囲を段階的に埋め立てて島全体をコンクリートの岸壁で囲む近代的な人工島へと変貌を遂げていった。
高密度都市「軍艦島」の形成と歴史的意義
島全体が炭鉱施設と居住地で覆われ、その外観が日本海軍の戦艦「土佐」に酷似していたことから、端島はいつしか「軍艦島」と呼ばれるようになった。大正期の1916年には、日本初となる鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され、その後も狭い島内に高層アパート群や学校、病院、映画館などの都市機能が凝縮された。
昭和中期の全盛期には、世界一とも言われる極めて高い人口密度を記録したが、エネルギー革命によって主要燃料が石炭から石油へと移行したため、1974年に閉山を迎えた。その後は無人島となったが、日本の産業革命期におけるエネルギー供給を象徴する遺跡として評価され、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録された。