長崎造船所

江戸幕府の施設を起源とし、官営を経てのちに三菱に払い下げられた造船所はどこか?
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重要度
★★

長崎造船所 (ながさきぞうせんじょ)

1857年〜

【概説】
幕末に江戸幕府が創設した長崎鎔鉄所を起源とする、日本近代造船業および重工業の先駆的施設。明治維新後に官営化された後、三菱の岩崎弥太郎に払い下げられ、日本の産業近代化と軍事力強化を支える巨大拠点となった。

幕末の創設と「長崎鎔鉄所」の興り

1853年のペリー来航以降、江戸幕府は差し迫る対外危機に対応するため、海防強化と洋式軍艦の整備を急いだ。その一環として1857年(安政4年)、オランダの協力を得て長崎の飽の浦(あくのうら)に建設が開始されたのが長崎鎔鉄所である。これがのちの長崎造船所の起源にあたる。

オランダ人技術者ハルデスらの指導のもと、1861年(文久元年)に工場が落成し、名称も「長崎製鉄所」へと改められた。ここでは艦船の修理だけでなく、日本初の近代的な工作機械を用いた金属加工が試みられ、西欧の先進技術を日本へ移植するための重要な技術的基盤が築かれることとなった。

明治政府による官営化と「政商」三菱への払い下げ

明治維新後、新政府は長崎製鉄所を接収して官営化し、工部省の管轄下で「長崎造船局」などとして近代化を進めた。しかし、明治政府の財政難や、民間産業を育成して自立的な経済発展を促す方針への転換(殖産興業政策の変容)に伴い、1880年代に官営事業の払い下げが進められた。

1884年(明治17年)、長崎造船所は政府と密接な関係を築いていた政商・岩崎弥太郎が率いる三菱に貸し下げられ、1887年(明治20年)には正式に払い下げられた。これにより、同施設は民間企業としての道を歩み始め、のちに「三菱合資会社三菱造船所」へと発展。三菱財閥の重工業部門における核心的拠点となった。

近代日本の重工業化と軍事化を支えた歴史的意義

三菱の経営下に入った長崎造船所は、技術革新を急速に進め、木造船の修理から大型鋼鉄船の自社建造へと脱皮を遂げた。1890年代後半の航海奨励法などの政府の保護政策も追い風となり、日本海海戦で活躍する軍艦や大型商船を次々と建造。日本の造船技術を世界水準へと引き上げる牽引役となった。

昭和期には、史上最大の戦艦「武蔵」を建造するなど、日本の軍事大国化(帝国主義の展開)とも深く結びついた。長崎造船所は、単なる一企業の製造施設にとどまらず、資本主義の発達と軍事・海運の近代化という、明治以降の日本が歩んだ道筋を象徴する歴史的遺産である。2015年には、その歴史的価値が認められ、構成資産の一部が「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録された。

三菱長崎技術学校の造船マン: 長船の現場を支えた技術者たち

戦後日本の造船業を支えた技術者たちの誇りと、現場の熱き奮闘を克明に記録した渾身の回想録。

創業百年の長崎造船所 (1957年)

百年の歴史を重ねた三菱長崎造船所の歩みを、創業から戦後の発展まで辿る貴重な社史的記録の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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