エドモンド・モレル
1840年〜1871年
【概説】
明治初期に「お雇い外国人」として来日したイギリス人の鉄道技術者。日本初の鉄道である新橋・横浜間の建設を実質的に指導し、日本の鉄道の基礎を築いた人物。
日本初の鉄道建設と軌間の決定
明治政府は、近代国家への脱皮を図るべく殖産興業政策を推進し、その一環として交通網の近代化、すなわち鉄道建設を急いだ。1870年(明治3年)、イギリスの仲介によって建築師長として招聘されたのがエドモンド・モレルである。モレルは新橋・横浜間の鉄道建設において、技術面の総責任者として実務を指揮した。この際、日本の国情や資金力、山がちな地形を考慮し、レールの間隔(軌間)に狭軌(3フィート6インチ=1067ミリメートル)を採用することを提案した。この規格は、その後の日本における鉄道(現在のJR在来線など)の標準軌間となり、日本のインフラの方向性を決定づけることとなった。
技術の自立に向けた建言と急逝
モレルの功績は、単なる物理的な鉄道建設にとどまらない。彼は、日本がいつまでも外国人技師に頼るべきではないと考え、日本人技術者の養成と、鉄道事業を統括する専門官庁の設置を明治政府に強く提言した。この建言は、工部省の設置や技術者養成機関である「工学寮」(後の工部大学校、東京大学工学部の前身)の設立へとつながり、日本の近代産業の自立を促す大きな契機となった。しかし、モレルは激務がたたって結核に倒れ、1872年(明治5年)の鉄道開業を見届けることなく、1871年に31歳の若さで横浜にて病没した。彼の墓は現在も横浜の外国人墓地にあり、「日本の鉄道の父」としてその功績が称えられている。