ケプロン (けぷろん)
1804年~1885年
【概説】
明治時代初期に開拓使顧問として来日したアメリカの農務長官経験者。北海道開拓の基本方針を建言し、近代的な農業技術や産業の導入を主導したお雇い外国人である。
開拓使顧問への就任と来日の背景
明治新政府は、ロシアの東アジア進出(南下政策)に対抗するための北方防備と、豊かな資源開発を目指し、1869(明治2)年に開拓使を設置した。開拓次官(のちに長官)となった黒田清隆は、広大な北海道の近代化を迅速に進めるため、気候や風土が類似するアメリカ西部の開拓技術を導入することを決意する。黒田は渡米して直接交渉を行い、当時アメリカ政府の第2代農務長官であったホーレス・ケプロンを、破格の高給をもって開拓使最高顧問に招聘した。こうして1871(明治4)年、ケプロンは技術者や専門家を伴って来日した。
ケプロンの建言と北海道開拓の近代化
来日したケプロンは精力的に北海道の現地調査を行い、数々の画期的な提言(ケプロン報文など)を明治政府に提出した。彼は、従来の日本にみられた水稲耕作ではなく、寒冷地に適した小麦やジャガイモなどの畑作、および牛や羊の飼育による酪農・畜産業の導入を強く推奨した。また、札幌を中心とする道路や鉄道の敷設、鉱山開発、森林資源の活用など、インフラ整備と産業振興を多角的に進めるべきだとした。さらに、開拓を担う専門的な技術者を育成するため、のちの札幌農学校(現在の北海道大学)となる開拓使仮学校の設立を進言したことも、その後の北海道に多大な知的・技術的資産を残す契機となった。