レンガ造り

銀座の街並みや官営工場などに採用された、火災に強い西洋の近代的な建築素材(建築様式)は何か?
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重要度
★★

レンガ造り

明治時代

【概説】
明治時代の文明開化期を象徴する、西洋から導入された建築素材および建築様式。耐火性に優れた都市建設や近代的な官営工場の創設において広く採用され、日本の近代化を目に見える形で示すシンボルとなった。

銀座煉瓦街と都市の不燃化政策

明治政府が進めた近代化政策において、首都・東京の強靭化は急務であった。とりわけ1872(明治5)年に発生した築地・銀座の大火は、従来の木造密集都市の脆弱性を露呈させることとなった。これを受けて、大蔵少輔の井上馨らの主導により、銀座を不燃都市化する計画が立ち上がった。お雇い外国人であるイギリス人技師トーマス・ウォートルスの設計のもと、日本初の本格的なレンガ建築街である「銀座煉瓦街」が建設された。これは、江戸以来の木造景観を一変させ、文明開化を視覚的に象徴する街並みとなったが、当時の人々にとっては湿気がこもりやすく住みにくいという不評もあった。しかし、対外的に日本の近代化をアピールする政治的役割は極めて大きかった。

殖産興業を支えた技術導入と富岡製糸場

レンガ造りの技術は、都市の美観や防火だけでなく、国家の近代産業を育成する殖産興業の場でも導入された。1872(明治5)年に設立された官営模範工場の富岡製糸場(群馬県)は、フランス人技師ポール・ブリュナの指導のもとで建設された。同工場の主要建造物は、木の骨組みにレンガを積み上げる「木骨(もっこつ)レンガ造り」という独自の折衷様式が採用されている。建設当時、日本国内にはまだ良質なレンガを量産する体制が整っていなかったため、フランス人技術者の指導のもとで瓦職人らが試行錯誤を重ねてレンガを焼き上げ、建築に用いた。このように、レンガ造りの普及は、日本の伝統的な職人技術が西洋の近代技術へと適応・変容していく過程そのものでもあった。

耐震性の課題とコンクリートへの移行

明治期を通じて官公庁や鉄道高架橋、倉庫などに広く用いられたレンガ造りであったが、地震国である日本においては致命的な弱点を持っていた。レンガを積み上げてモルタルで接着する構造は、横揺れ(引張力)に対して極めて脆弱であった。1891(明治24)年の濃尾地震や、とりわけ1923(大正12)年の関東大震災において、多くのレンガ造り建築が大破・倒壊し、甚大な被害を出した。この災害を契機に、日本の建築技術はレンガ造りから、地震に強い鉄筋コンクリート造や鉄骨造へと急速に移行していくこととなる。現在では、横浜赤レンガ倉庫や富岡製糸場など、限られた遺構が近代産業遺産として保存され、往時の面影を伝えている。

復元文明開化の銀座煉瓦街: 江戸東京博物館常設展示 東京ゾーン文明開化東京

赤煉瓦の街並みが蘇る、文明開化期の銀座の息吹を鮮やかに切り取った歴史資料の集成。

富岡製糸場と絹産業遺産群 (ベスト新書)

世界遺産の歴史的価値と技術的系譜を紐解き、近代日本の礎となった製糸場の全貌に迫る一冊。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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