小学校

学制において、全国の「小学区」ごとに1校ずつ設置することが定められた初等教育機関は何か?
カテゴリ:
重要度
★★

小学校

1872年〜

【概説】
明治政府が1872(明治5)年の「学制」発布に基づき、全国に設置を義務づけた近代的な初等教育機関。身分や性別に関わらず全ての国民に基礎教育を施すことを目指した。日本の近代化および国民国家の形成において、義務教育の基礎を築いた重要な制度である。

学制の発布と「国民皆学」の理念

明治新政府は、欧米列強に対抗するための近代国家建設(富国強兵・殖産興業)には、国民全体の知識水準の向上が不可欠であると認識していた。そこで1872(明治5)年、フランスの高度に中央集権的な教育制度を模範とした学制を発布した。学制では「必ず邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん」という「国民皆学」の理念が掲げられ、全国を大学区・中学区・小学区に細分化し、最小単位である小学区(人口約600人に1校の割合)ごとに「小学校」を1校ずつ設置することが義務付けられた。これにより、江戸時代の寺子屋や藩校に代わる、全国共通のカリキュラムを持った近代的な学校制度がスタートした。

民衆の負担と「小学校一揆」

政府は理想的な近代教育を掲げたものの、学校の建設費用や維持費、教員の給与、そして子供たちの教科書代や授業料の多くは、各地域や保護者による自己負担とされた。これは当時の農民にとって極めて重い財政負担であった。さらに、貴重な労働力である子供を学校に取られることへの反発も強かった。この時期に強行された地租改正や徴兵令(血税一揆)への不満とも結びつき、各地で新政反対一揆が発生。その過程で、負担の象徴とみなされた小学校の校舎が焼き払われる小学校一揆が頻発し、初期の就学率は3割から4割程度と低迷した。

教育令から小学校令へ、そして義務教育の定着

学制による画一的な押し付けへの反発から、政府は1879(明治12)年にアメリカの自由主義的教育を取り入れた教育令を制定し、義務教育の緩和を図った。しかし、就学率のさらなる低下や教育内容の混乱を招いたため、政府は再び統制へと舵を切る。1886(明治19)年、初代文部大臣森有礼のもとで小学校令が制定され、小学校は尋常小学校(4年制)と高等小学校に再編され、尋常小学校の4年間が義務教育期間と定められた。その後、1900(明治33)年の小学校令改正によって尋常小学校の授業料が無償化され、1907(明治40)年には義務教育が6年間に延長された。日露戦争前後には就学率が9割を超え、小学校は「日本人」としての国民意識を植え付ける装置として完全に定着することとなった。

学制百年史 (1972年)

明治以降の教育制度が辿った変遷と、日本の近代化における変革の軌跡を詳細に記録した、歴史資料としての価値が高い一冊。

日本の歴史 2 (岩波ジュニア新書 332)

神話から古代国家の成立まで、考古学や文献の知見を駆使して日本人の源流と社会の発展を鮮やかに描き出した入門の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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