偐紫田舎源氏 (にせむらさきいなかげんじ)
【概説】
江戸時代後期の化政文化期に刊行された、柳亭種彦作・歌川国貞画による大長編の合巻。古典『源氏物語』の舞台を室町時代に移し、当時の将軍家や大奥の世相・風俗を暗示的に描き込んで空前の大ヒットを記録した草双紙の代表作。天保の改革における出版統制の直撃を受け、未完のまま絶版処分となった悲劇的な作品でもある。
『源氏物語』の翻案と合巻の最高峰
『偐紫田舎源氏』は、文政12年(1829年)から天保13年(1842年)にかけて順次刊行された。本作は、平安時代の古典『源氏物語』を、当時庶民の間で絶大な人気を誇っていた草双紙(合巻)の形式に翻案(アダプテーション)したものである。主人公の光源氏は足利将軍家の子息である「足利光氏(あしかがみつうじ)」に置き換えられ、将軍家の家督争いというサスペンス要素、さらには江戸後期の最新の流行や大奥を想起させる華やかな生活描写がふんだんに盛り込まれた。
本書が爆発的な人気を博した要因の一つに、人気浮世絵師・歌川国貞(のちの三代豊国)による美麗な挿絵がある。国貞が描いた絢爛豪華な衣装や近代的な風俗を取り入れた挿絵は「源氏絵」と呼ばれ、当時のファッションリーダーとしての役割も果たした。種彦の洗練された文章と国貞の視覚的魅力が融合したことで、本作は13年間にわたる超長期のベストセラーとなり、江戸の出版文化における合巻というジャンルを最高潮へと導くこととなった。
天保の改革による弾圧と著者の非業の死
しかし、その絶大な人気が『偐紫田舎源氏』の運命を暗転させる。本作で描かれた足利光氏の奔放な女性関係や華美な生活様式、そして取り巻く女性たちの描写が、当時大御所として君臨していた11代将軍・徳川家斉の大奥における奢侈な私生活や権力闘争を風刺・パロディ化したものであるとの噂が広まったためである。
折しも天保12年(1841年)、老中・水野忠邦による「天保の改革」が本格化すると、幕府は風紀の取り締まりと倹約令を徹底し、出版業界への統制を急速に強めた。その結果、天保13年(1842年)、『偐紫田舎源氏』は「大奥の風俗を乱し、幕府を暗に批判した」として絶版・絶板の処分を下され、未完のまま執筆を差し止められた。著者の柳亭種彦は幕府からの呼び出しや処分による精神的苦痛が重なり、この年のうちに59歳で急死(憂死、または自殺ともいわれる)した。本作を巡るこの事件は、天保の改革がいかに苛烈な思想・文化統制を行ったかを示す、歴史的に極めて象徴的な事例として知られている。