誹風柳多留 (はいふうやなぎだる)
【概説】
江戸時代中期から幕末にかけて刊行された、庶民の口語による短詩文芸「川柳」の基礎を築いた代表的な句集。初代柄井川柳(からいせんりゅう)が選んだ前句付(まえくづけ)の優れた付句(つけく)を、呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)らが編集して出版したもの。当時の都市町人の生活感情や世相、人間模様をユーモアと風刺を交えて活写し、庶民文化の成熟を象徴する第一級の史料である。
「前句付」の流行と句集の誕生
江戸時代中期、特に宝暦から明和期(18世紀半ば)にかけて、都市の庶民の間で「前句付(まえくづけ)」と呼ばれる文芸が爆発的な流行を見せた。前句付とは、出題者(点者)が提示した七・七の「前句」に対して、参加者が五・七・五の「付句」を合わせる言葉遊びである。この前句付の選者として圧倒的な人気を誇ったのが、江戸浅草の割元名主であった柄井川柳(初代川柳)であった。
柄井川柳が選んだ膨大な付句の中から、文筆家の呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)が特に優れた作品を選りすぐり、前句を切り離して五・七・五の独立した短詩として再構成し、1765(明和2)年に出版したのが『誹風柳多留』の初編である。本書は好評を博し、以降、幕末の1838(天保9)年に至るまで、通算167編におよぶ大シリーズとして刊行され続けた。前句から独立したこの五・七・五の文芸は、やがて選者の名にちなんで「川柳」と呼ばれるようになり、俳諧(俳句)と並ぶ独自の文学ジャンルとして確立することとなった。
庶民のリアルな世相を映し出す「穿ち」の美学
『誹風柳多留』に収められた句の特徴は、当時の身分秩序や道徳観から一歩引いた視点から、人間の弱さや本音を突く「穿ち(うがち)」、笑いをもたらす「おかしみ」、そして軽妙な表現である「軽み」にある。高雅な美を追求した松尾芭蕉らの俳諧(正風俳諧)に対し、『誹風柳多留』の川柳は吉原の遊郭、芝居町、家族関係、役人の汚職など、きわめて世俗的で日常的なテーマを扱った。
例えば、武士の形式主義を揶揄したり、親子の情愛をユーモラスに描いたりした句が多く、当時の江戸に生きた人々のリアルな生活感情や本音を現代に伝える貴重な歴史資料となっている。このように、特権階級の文化ではなく、新興の都市町人が主体となった言語文化が花開いたことは、江戸中期の田沼時代から化政文化へと至る、町人文化の自立と発展のプロセスを如実に示している。