大人・下戸 (たいじん・げこ)
【概説】
中国の史書『魏志』倭人伝に記録された、3世紀の邪馬台国(倭国)における身分階層の呼称。支配層である「大人」と、一般平民の被支配層である「下戸」からなる、弥生時代後期に成立した明確な階級社会を示す指標。
『魏志』倭人伝にみる「大人」と「下戸」の従属関係
中国の『三国志』魏書東夷伝倭人条(いわゆる『魏志』倭人伝)には、当時の倭人の社会について「大人・下戸」という呼称を用いた身分秩序が克明に描かれている。大人は王やそれに準ずる有力な支配層を指し、自らの邸宅や倉庫(邸閣・国倉)を所有し、下戸から租税を徴収する立場にあった。これに対し、下戸は一般の平民であり、生産活動に従事しながら大人に服従する被支配層であった。
両者の間には極めて厳格な身分の上下関係が存在した。史書によれば、下戸が道路で大人に遭遇した際、下戸は草むらに退いてひざまずき、両手を地につけて敬意を表した(これを「恭敬を示す」という)と記されている。また、言葉を交わす際にも独特の礼儀作法(「噫(あい)」という発声による応答)が義務付けられており、日常生活の些細な行動様式に至るまで、身分差が徹底されていたことが知られている。
階級社会の成立と歴史的背景
大人・下戸という身分差の成立は、弥生時代における社会構造の激変を象徴している。縄文時代の比較的平等な共同体社会から、弥生時代の水稲稲作の受容を経て、生産力の向上と余剰農産物の蓄積が始まった。これにより、富の偏在(貧富の差)が生じ、やがて土地や水を管理・支配する首長層と、労働を提供する一般平民への分化が進んだ。さらにこの階層の下には、奴隷的な身分である「生口(せいこう)」や「奴婢(ぬひ)」も存在したとされている。
大人・下戸の身分差が確立していた邪馬台国の社会は、単なる部族同盟の段階を超え、法や刑罰(「法俗厳峻なり」と記される)による統治が行われる初期国家(前方後円墳体制の前段階)としての組織的な社会秩序を既に構築していたことを示している。この厳格な身分秩序が基礎となり、後の大和政権における「氏姓制度」などの古代国家の支配構造へと発展していくこととなる。