狗奴国

重要度
★★

【参考リンク】
狗奴国(Wikipedia)

狗奴国 (くなこく)

3世紀頃

【概説】
中国の史書『魏志』倭人伝に記された、邪馬台国の南方に存在したとみられる国。男王・卑弥弓呼を頂点に戴き、女王・卑弥呼が統治する邪馬台国連合と激しく対立した独自の政治勢力である。

『魏志』倭人伝にみる狗奴国の構造

『三国志』魏書東夷伝倭人条(いわゆる『魏志』倭人伝)において、狗奴国は邪馬台国の南方に位置し、女王の支配に服さなかった国として登場する。その支配体制には、男王である卑弥弓呼(ひみここ)が君臨し、実質的な官(政治や軍事を掌る実務指導者)として狗古智卑狗(くこちひく)という人物がいたことが記録されている。

邪馬台国が多くの小国による「共立」によって女王卑弥呼を推戴し、宗教的・外交的な紐帯によって連合体を維持していたのに対し、狗奴国は男王と有力な官による世俗的かつ強力な軍事的統率力を持った国家であったと推測されている。当時の倭人社会において、邪馬台国連合とは異なる原理で発展を遂げた有力な政治勢力であったといえる。

邪馬台国との武力衝突と東アジア国際情勢

狗奴国と邪馬台国との抗争は、3世紀の日本列島における最大の覇権争いであった。正始8年(247年)、邪馬台国は魏の帯方郡に対して「狗奴国と交戦中である」との報告を送り、支援を求めた。これに対して魏は、張政という使者を派遣して、邪馬台国を支持する詔書や軍旗を伝達し、狗奴国を牽制しようとした。この激しい戦闘のさなかに卑弥呼が没したと伝えられており、狗奴国の軍事的圧迫が邪馬台国連合の存亡の危機をもたらしたことが窺える。

この対立は、当時の中国における三国時代の国際情勢(魏・呉・蜀の鼎立)とも連動していた可能性が指摘されている。魏の後ろ盾を得た邪馬台国に対し、狗奴国は南方の「呉」と独自に通交していたのではないかという説(呉・狗奴国連携説)もあり、倭国内の紛争が東アジア規模の覇権争いの一環であったとする視野の広い研究も進められている。

狗奴国の比定地をめぐる論争

狗奴国の所在地を巡っては、邪馬台国の所在地論争(九州説 vs 畿内説)と表裏一体の関係で議論が続いている。

邪馬台国九州説に立つ場合、狗奴国は九州南部(熊本県から宮崎県周辺)に比定されることが多い。特に、官の「狗古智卑狗(くこちひく)」という名が、後の熊本県(肥後国)の「菊池(くくち)」という地名に通じることから、菊池川流域を中心とする勢力であったとする説が有力である。

一方、邪馬台国畿内説に立つ場合は、邪馬台国(大和)の東や南に位置する東海地方(濃尾平野から静岡県周辺)、あるいは関東地方(「毛野国」との関連)に比定される。実際に考古学の分野では、3世紀前半の東海地方から関東地方にかけて独特の赤色土器や前方後方墳が発達しており、これらの地域が畿内の邪馬台国連合に対抗しうる強力な独自文化圏(狗奴国)を形成していたとする説が注目を集めている。

邪馬台国論争 (岩波新書 新赤版 990)

古代史最大の謎である所在地の論争を、多角的な史料分析と学説史の変遷から紐解く重厚な研究の一冊。

邪馬台国: 入墨とポンチョと卑弥呼 (中公新書 466)

入墨やポンチョなど南方文化との関連性を切り口に、卑弥呼の実像と日本古代史の原点を鮮やかに描く書。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 古墳時代において、朝鮮半島の高度な技術を用いて鉄製の剣や甲冑、農具などを製造した専門の部民集団を何というか?
Q. 弥生時代、有力な首長が周辺の村々を武力などで従えて形成していった、のちの国家の原型となる政治的なまとまりを何というか?
Q. 百舌鳥古墳群の巨大古墳の一つに治定され、倭王「讃」に比定される説がある大王は誰か?