蠟 (ろう)
【概説】
江戸時代に照明用の和蝋燭の原料として広く生産された特産物。ハゼノキ(櫨)の実から抽出される木蝋(もくろう)を指し、長州藩をはじめとする西国諸藩における重要な財源となった。
和蝋燭の普及と商品作物としての「蠟」
江戸時代中期以降、都市の発展や庶民の生活水準の向上に伴い、夜間の照明用具として和蝋燭の需要が急速に高まった。それまでの主な照明具であった行灯(菜種油や魚油を使用)に比べ、和蝋燭は明るく風に強いため、儀礼や娯楽、日常の夜間活動に欠かせないものとなった。この和蝋燭の原料となったのが、ウルシ科の落葉高木であるハゼノキ(櫨)の実から抽出される木蝋(もくろう)である。
ハゼノキの栽培は、温暖な気候に適していたため、主に西日本を中心に広がった。米の生産に適さない傾斜地などを利用して栽培され、農村における重要な商品作物(換金作物)として位置づけられた。農民にとっては貴重な現金収入源となり、藩にとっては流通を掌握することで財政を潤す格好の素材となったのである。
長州藩の藩政改革と「防長三白」
深刻な財政難に苦しんでいた西国の諸藩は、この蠟に目をつけ、藩が買い占めて他国へ転売する専売制(国産専売制度)を導入した。その代表例が長州藩(萩藩)である。
長州藩では、米(一白)以外の藩を代表する3つの白い特産物として、米代紙に代表される「紙」、瀬戸内海沿岸の塩田でつくられる「塩」、そしてハゼノキからつくられる「蠟」を「防長三白」と総称した。藩は百姓に対してハゼノキの植樹を奨励・義務付け、生産された蠟を藩の機関を通じて独占的に買い上げ、天下の台所である大坂の市場へと送り出して巨額の利益を上げた。天保期に行われた村田清風による藩政改革(天保の改革)では、この専売制の弊害を是正しつつ流通を効率化させ、藩財政を劇的に改善することに成功した。この時蓄積された莫大な資金(「撫育方」と呼ばれる特別会計など)が、幕末期における長州藩の軍備増強と倒幕運動を支える軍事的資金源となったのである。
諸藩の競合と近代貿易への発展
蠟の専売制は長州藩だけでなく、薩摩藩、肥後藩、さらに「伊予の櫨蝋」で知られた大洲藩など、西日本の多くの雄藩で競うように導入された。各藩は技術改良を重ねて質の高い木蝋を生産し、それぞれの財政再建を支えた。特に筑後国(久留米藩・柳川藩)や伊予国(現在の愛媛県内子地方など)の木蝋は、白度が高く極上品として高く評価された。
江戸時代に培われたこの木蝋の生産技術と流通ルートは、明治維新後も衰退することなく引き継がれた。明治期には、日本の木蝋は「ジャパン・ワックス」の名でヨーロッパやアメリカへ大量に輸出され、マッチや化粧品、製薬などの工業原料として、初期の近代日本における貴重な外貨獲得源としての役割を担い続けた。