野呂元丈 (のろげんじょう)
【概説】
江戸時代中期の医師であり、本草学者。8代将軍徳川吉宗の命によって青木昆陽とともにオランダ語を学び、西洋植物学を日本に紹介した蘭学の先駆者。オランダの本草書を部分的に翻訳・解説した『阿蘭陀本草和解』を著し、近代植物学の受容に道を拓いた。
徳川吉宗の「実学推奨」と野呂元丈の起用
野呂元丈は伊勢国(現在の三重県)に生まれ、京都の著名な本草学者である稲生若水のもとで本草学(中国由来の薬物・植物学)を学んだ。その後、江戸幕府の8代将軍となった徳川吉宗は、幕政改革である享保の改革において実学を深く奨励した。吉宗は産業振興や医療の発展を目的に、1720年に漢訳洋書(キリスト教関係以外の西洋の学術書)の輸入制限を緩和し、実用的な知識の導入を急いだ。
この方針のもと、元丈は医官として幕府に召し抱えられ、全国の薬草を調査する採薬使として活躍した。吉宗は日本の動植物の生態を正確に把握するだけでなく、西洋の優れた医学や本草学の知識を直接取り入れる必要性を痛感しており、その白羽の矢が立ったのが元丈であった。
青木昆陽とのオランダ語学習と『阿蘭陀本草和解』の歴史的意義
1740年(元文5年)、野呂元丈は吉宗の命を受け、のちにサツマイモ(甘藷)の栽培普及で知られる青木昆陽とともに、オランダ語の学習を命じられた。当時、オランダ語の知識は長崎のオランダ通詞(通訳)に独占されていたため、彼らは江戸に参府したオランダ商館長(カピタン)や医師、通詞らに毎年面会し、極めて限られた機会の中で単語や文法を習得していった。
元丈はこの学習の成果を生かし、オランダの植物学者ドドエンスの『草木誌』などの記述を部分的に翻訳・解説した『阿蘭陀本草和解』を著した。本書は、日本で初めて西洋の植物学・薬物学書を体系的に解読しようと試みた書物であり、それまでの中国流の本草学に、客観的な観察を重視する西洋科学の知見を融合させる先駆的な試みであった。元丈や昆陽らの地道なオランダ語研究は、のちの杉田玄白や前野良沢らによる『解体新書』の翻訳、ひいては江戸後期における蘭学の爆発的な発展の基礎を築く重要な架け橋となった。