経世秘策 (けいせいひさく)
【概説】
江戸時代後期の経世家である本多利明が、寛政10年(1798年)に著した先駆的な社会経済・海防論。ロシアの南下という対外的危機を背景に、従来の農本主義的な幕政を批判し、蝦夷地の開発や国家主導の対外貿易による国力増強を説いた提言書。
緊迫する北方情勢と本多利明の危機意識
18世紀末の日本は、ロシア極東進出の波にさらされていた。寛政4年(1792年)にはロシア使節のラックスマンが根室に来航して通商を求め、幕府に大きな衝撃を与えた。このような対外的緊張が高まる中、経世家であり優れた地理学者・和算家でもあった本多利明は、日本の防衛と経済のあり方に強い危機感を抱くようになった。
利明は、日本の狭隘な領土と資源の限界を見抜き、従来の幕府がとってきた農業依存の経済政策(農本主義)や、鎖国体制による閉塞感では、これからの国際情勢を乗り切ることはできないと確信した。こうした危機意識のもと、具体的な富国強兵策を体系的にまとめたのが『経世秘策』である。同年に著された『西域帰帆紹介』とともに、彼の思想の集大成を成している。
「四大急務」にみる国家主導の重商主義と蝦夷地開発
『経世秘策』において、利明は国家が速やかに着手すべき政策として「四大急務」を提示した。それは「火薬の製造」「船舶の建造」「領地開発」「官司による富国」の4点である。これらは相互に密接に関連しており、武力による防備(軍事力強化)と経済的自立(富国)を同時に達成することを目指していた。
特に重要視されたのが「領地開発」としての蝦夷地(現在の北海道など)の開発と、「官司による富国」としての国家主導の海外貿易である。利明は、蝦夷地を単なる交易の場ではなく、積極的に開拓して城郭を築き、ロシアに対する防波堤とすべきだと主張した。さらに、幕府自らが巨大な商船を建造して世界各国と交易を行い、金銀を国内に還流させるという、近代の重商主義を先取りする進歩的な構想を抱いていた。
幕政批判としての先進性と歴史的意義
『経世秘策』の主張は、当時の徳川幕府が国是としていた「鎖国」と「農本主義」を根底から覆すものであった。米を経済の基準とする石高制の限界を指摘し、商業と交易によって国を富ませるべきだとする彼の思想は、江戸時代の経済思想史において極めて特異かつ先駆的な位置を占める。
本多利明の現実的かつ合理的な海防・開国論は、幕政の保守性ゆえに即座に採用されることはなかった。しかし、その蝦夷地開拓論はのちに最上徳内らの北方探検や幕府による蝦夷地直轄化の動きに間接的な影響を与え、その鋭い対外認識は幕末の志士たちや開国論者へと受け継がれることとなった。