ハルマ

彼が編纂したオランダ語・フランス語辞典が、のちに日本初の蘭和辞典の底本(ベース)となり、辞典の名前の由来ともなった人物は誰か?
カテゴリ:
重要度
★★

ハルマ

1653〜1722

【概説】
オランダの出版業者、学者。彼が編纂したオランダ語・フランス語の対訳辞書が日本に輸入され、日本初の本格的な蘭和辞典である『ハルマ和解』などの底本となったことで、日本の蘭学発達に多大な足跡を残した人物。

ハルマの辞書と日本への伝来

フランソワ・ハルマ(François Halma)は、17世紀末から18世紀初頭にかけてオランダのユトレヒトやレーワルデンなどで活動した書籍商・出版業者である。彼が1708年に出版した『新蘭仏辞典(Dictionaire nouveau flamand et françois)』は、オランダ語の見出し語にフランス語の訳語と用例を付したもので、当時のヨーロッパにおいて高い評価を得て広く普及した。

この辞書が、長崎の出島を通じて江戸時代の日本にもたらされた。当時の日本(江戸時代中期)では、1774年の『解体新書』刊行以降、オランダ語を通じて西洋の学術を学ぶ「蘭学」が盛んになりつつあった。しかし、当時の蘭学者たちには体系的な「蘭和(オランダ語・日本語)辞典」が存在せず、洋書の解読は極めて困難を極めていた。こうした中、ハルマの編纂した辞書は、のちに日本の蘭学の歴史を大きく変える基礎資料となったのである。

『ハルマ和解』(江戸ハルマ)の誕生

日本に輸入されたハルマの辞書を基に、日本初の本格的な蘭和辞典の編纂に挑んだのが、大槻玄沢の門下生であった蘭学者・稲村三伯である。稲村は、京都の蘭医である宇田川玄随や長崎のオランダ通詞・石井恒右衛門らの協力を得て、ハルマの『新蘭仏辞典』のオランダ語部分約6万余語をそのままに、フランス語による解説部分を日本語に訳すという膨大な作業を行った。

こうして1796(寛政8)年に完成したのが、通称「江戸ハルマ」と呼ばれる『ハルマ和解(わげ)』である。この辞書の誕生により、日本の蘭学者たちは一語一語を推測することなく、正確かつ迅速にオランダ語文献を読解する手段を手に入れた。江戸ハルマは、日本の洋学研究をそれまでの暗中模索の段階から、一躍近代的な学術研究へと引き上げる原動力となった。

『ドゥーフ・ハルマ』(長崎ハルマ)への展開と蘭学への貢献

ハルマの辞書は、江戸だけでなく長崎の地でも新たな辞書編纂の礎となった。1810年代、長崎出島のオランダ商館長(カピタン)であったヘンドリック・ドゥーフは、蘭仏辞書であるハルマの書を基に、オランダ通詞たちを集めて新たな蘭和辞典の編纂を開始した。これは1833(天保4)年頃に完成し、彼の名にちなんで『ドゥーフ・ハルマ』(通称「長崎ハルマ」)と呼ばれた。

『ドゥーフ・ハルマ』は、先行する『ハルマ和解』に比べて語彙や訳語がより正確であり、当時の最高峰の辞書として重宝された。幕末に活躍した緒方洪庵の適塾などでもこの『ドゥーフ・ハルマ』が筆写されて学習に用いられ、福沢諭吉や大村益次郎といった激動の近代日本を先導する多大な人材を育てることとなった。一人のオランダ人であるハルマが編纂した辞書は、日本の開国と近代化(近代西洋科学の受容)を陰で支えた極めて重要なマイルストーンであったと言える。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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