蘭仏辞典 (らんぶつじてん)
【概説】
18世紀にオランダで刊行された、オランダ語とフランス語の対訳辞書。江戸時代後期の日本に輸入され、初の本格的な蘭和辞典である『ハルマ和解』や『ドゥーフ・ハルマ』が編纂される際の直接の原典となった。
「暗闇の模索」から脱するための辞書需要
江戸時代中期、前野良沢や杉田玄白らによる『解体新書』の翻訳(1774年刊行)を契機として、日本における西洋学問の受容、すなわち蘭学が本格化した。しかし、当時の日本には体系的なオランダ語の辞書が存在せず、初期の蘭学者たちはわずかな単語帳や通詞(通訳官)の記憶を頼りに、暗中模索の翻訳作業を強いられていた。
こうした中、大槻玄沢が『蘭学階梯』を著すなどして蘭学の組織化が進むと、正確かつ効率的な翻訳を可能にする「本格的な辞書」の到来が強く望まれるようになった。そこで注目されたのが、オランダの書肆(出版業者)であるフランソワ・ハルマ(François Halma)が編纂し、1729年に第2版が刊行された『蘭仏辞書』(オランダ語・フランス語対訳辞書)であった。当時のヨーロッパにおける国際共通語はフランス語であり、この辞書は西洋では一般的なものであったが、日本の蘭学者たちにとっては宝の山となったのである。
稲村三伯と『ハルマ和解』の誕生
この『蘭仏辞典』に掲載されている膨大なオランダ語に対し、フランス語の訳部を日本語(和訳)に置き換えることで、日本独自の蘭和辞典を作ろうとする画期的な試みが始まった。これを主導したのが、大槻玄沢の門人であった稲村三伯である。
稲村三伯は、京都の蘭医である小石元俊や、宇田川玄随らの協力を得ながら、約6万語に及ぶハルマの収録語に日本語の訳語を付す作業を進めた。そして1796(寛政8)年、日本初の本格的な蘭和辞典である『ハルマ和解』(通称「江戸ハルマ」)を完成させた。この辞書の誕生により、蘭学者たちは一語一語の意味を推測する苦労から解放され、蘭学の学習および西洋文献の翻訳スピードは飛躍的に向上することとなった。
『ドゥーフ・ハルマ』への継承と歴史的意義
ハルマの『蘭仏辞典』を基にした辞書編纂の潮流は、江戸にとどまらず長崎へも波及した。文化年間、長崎出島のオランダ商館長(カピタン)であったヘンドリック・ドゥーフは、日本人通詞たちの語学力向上のため、やはりハルマの辞典をベースとした新たな蘭和辞典の編纂を開始した。これが、1833(天保4)年に完成した『ドゥーフ・ハルマ』(通称「道訳ハルマ」)である。
このように、オランダで出版された一冊の『蘭仏辞典』は、形を変えて日本初の「言葉の架け橋」となり、幕末における洋学(軍事技術や医学、科学など)の急速な受容を支える知的インフラとして計り知れない貢献を果たしたのである。