藤井右門 (ふじいうもん)
1715年〜1767年
【概説】
江戸時代中期の尊王論者、軍学者。山県大弐らとともに幕政批判を展開し、幕府によって処刑された明和事件の中心人物の一人である。
尊王思想の形成と山県大弐との提携
藤井右門(名は直明)は、京都の神職の家に生まれた。朝廷の権威復興を志して有職故実や軍学を学び、朝廷の若手公家らに尊王論を説いて追放された竹内式部(宝暦事件の当事者)らの影響を強く受けた。その後、京都を離れて江戸へ下ると、優れた儒学者であり軍学者でもあった山県大弐と出会う。右門は大弐が江戸に開いた私塾「柳荘」に出入りし、大弐の兵学や尊王の思想に深く共鳴して行動を共にするようになった。
明和事件の勃発と歴史的意義
1766年(明和3年)、右門や山県大弐らが幕政を批判し、朝廷を奉じて謀反を企てているという密告がなされた。これにより、江戸幕府の中町奉行・曲淵景露らによって右門らは一斉に捕らえられた。これが明和事件である。翌1767年、右門は山県大弐とともに死罪(斬首)に処された。この事件は、当時の幕府権力に対する組織的な反抗の萌芽を示すものであり、彼らの掲げた尊王論は、のちの幕末期における尊王攘夷運動の先駆的な思想として志士たちに強い精神的影響を与えることとなった。