照葉樹林
【概説】
更新世末期から完新世にかけての温暖化に伴い、西日本を中心に形成されたシイやカシなどの常緑広葉樹からなる森林。東日本の落葉広葉樹林とともに縄文人の生業や生活様式を大きく規定し、日本列島における地域的な文化圏の形成に決定的な影響を与えた自然環境。
気候変動と日本列島の植生変化
約1万年前、氷河時代(更新世)が終わり、温暖多湿な気候を特徴とする完新世へと移行すると、日本列島の植生は劇的に変化した。それまで列島を覆っていた針葉樹林や落葉広葉樹林が北上・後退し、これに代わって西日本を中心にシイ、カシ、クスノキ、ツバキなどの常緑で肉厚の光沢を持つ植物、すなわち照葉樹が繁茂する森林帯が形成された。
一方、東日本や北日本では、ブナ、ナラ、クリ、トチノキなどの落葉広葉樹林が広がった。この植生の「西の照葉樹林、東の落葉広葉樹林」という対比は、縄文時代の生業や社会構造における東西の地域差を生み出す背景となった。
縄文人の生業とドングリのあく抜き技術
照葉樹林は、縄文人に豊かな食料資源をもたらした。特にイチイガシやツブラジイなどの堅果類(ドングリ)は、保存性の高い炭水化物源として極めて重要であった。また、森林にはドングリを主食とするイノシシやシカなどの野生動物が数多く生息しており、これらに対する狩猟活動も活発に行われた。
しかし、照葉樹林のドングリは、東日本の落葉広葉樹林で採れるクリに比べて、強い渋み(タンニン)を含むものが多かった。これを食用とするために、縄文人は土器を用いた煮沸や、水にさらすこと、さらには灰を用いた高度なあく抜き技術を発達させた。この技術の普及が、照葉樹林帯における縄文人の定住生活を支える基盤となった。
東アジアのなかの「照葉樹林文化」
学術的には、この照葉樹林帯がもたらした生活様式は、植物学者の中尾佐助や歴史民俗学者の佐々木高明らによって「照葉樹林文化」として提唱された。照葉樹林は日本独自の枠組みにとどまらず、中国南部、台湾、ヒマラヤ南斜面へと続く広大な「照葉樹林帯(半月弧)」を形成している。
これらの地域では、ドングリのあく抜き食をはじめ、モチ性の穀類(モチ米など)の利用、根栽類の栽培、漆や絹の利用、さらには茶の栽培など、多くの共通する文化要素が観察される。西日本の縄文文化、ひいては後の弥生時代に定着する稲作農耕文化のルーツを、これら東アジア規模での文化の連続性の中で捉え直す視座は、日本文化の多元的な源流を解明する上で極めて重要な意味を持っている。