大嘗会(大嘗祭)
【概説】
天皇が即位した後に初めて行う、一代一度の極めて重要な新嘗祭(収穫祭)。皇位継承儀礼の中核をなす国家的な祭祀であり、新天皇が神々に新穀を供え、自らも食することで神格性を得るとされた。応仁の乱以降の朝廷の衰退により長らく途絶えていたが、江戸時代に5代将軍徳川綱吉の支援によって復興を遂げた。
古代における成立と信仰的意義
大嘗祭(大嘗会)は、毎年秋に行われる新嘗祭(にいなめさい)の特別版であり、天皇の即位後に一世一代の規模で執り行われる最高の皇室行事である。その起源は天武・持統天皇の時代(7世紀後半)に制度化されたとされる。儀式では、悠紀(ゆき)および主基(すき)と呼ばれる東西の斎田から収穫された新穀を皇祖神(天照大神)をはじめとする天神地祇に供え、天皇自身もこれを共食する。これによって、天皇は神霊との一体化を果たし、最高統治者としての神聖な霊力を獲得・更新すると信じられていた。皇位継承を宗教的に完成させるため、古代国家にとって最重要の儀式であった。
戦乱による朝廷の衰退と「220年の断絶」
平安時代から鎌倉・室町時代前期にかけて連綿と受け継がれてきた大嘗祭であったが、中世後期の戦乱期に危機を迎える。1467年に勃発した応仁の乱による京都の荒廃と、それに伴う朝廷の財政困窮は極限に達した。1500年に即位した後柏原天皇は、資金不足から大嘗祭の挙行を断念せざるを得ず、以後、後奈良・正親町・後陽成天皇らの時代にわたり、約220年間もの長期にわたって大嘗祭は中絶した。この断絶は、戦国時代における朝廷権威の衰退を如実に象徴する出来事であった。
徳川綱吉の支援と東山天皇による大嘗祭復興
この途絶えていた大嘗祭が奇跡的な復活を遂げたのは、江戸中期の1687年(貞享4年)、東山天皇の即位の時であった。復興を全面的に主導したのは、5代将軍徳川綱吉である。武断政治から文治政治への転換を図っていた綱吉は、儒学や神道の精神に基づき朝廷の保護と儀礼の復興に尽力した。幕府は莫大な資金を投じて儀式の舞台となる大嘗宮を建設し、挙行を財政的に支えた。この復興の背景には、朝廷の文化的・宗教的権威を徳川幕府が保護・再編することを通じて、自らの支配の正当性と幕藩体制の安泰を誇示しようとする政治的意図があった。これ以降、大嘗祭は幕末、そして近代・現代へと継承されていくこととなる。