正徳の政治(治)

6代家宣・7代家継の時代に、新井白石と間部詮房が行った政治改革を何と呼ぶか。
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★★★

【参考リンク】
正徳の治(Wikipedia)

正徳の政治(治)

1709年〜1716年

【概説】
江戸時代中期、6代将軍徳川家宣および7代将軍徳川家継の時代に行われた幕政改革。儒学者の新井白石と側用人の間部詮房が主導し、儒教的な理想に基づいて将軍の権威を高め、文治政治を推進した。

幕政の転換と主導者たち

1709年、5代将軍徳川綱吉が死去し、甥の徳川家宣が6代将軍に就任すると、幕閣の顔ぶれは大きく一新された。綱吉の側用人として権勢を振るった柳沢吉保は退けられ、家宣が甲府藩主時代から重用していた儒学者の新井白石と、側用人の間部詮房が幕政の中心を担うこととなった。彼らは綱吉時代に極端化し民衆の反発を買っていた生類憐みの令を即座に廃止し、民心の安定を図るとともに、儒教(朱子学)の「大義名分」の思想を根本に据えた政治改革に着手した。家宣が就任からわずか3年で病死し、わずか3歳の徳川家継が7代将軍となった後も、白石と間部はこの路線を継承して幕政を主導した。

儒教的理念に基づく権威の創出と外交

白石の政治思想の核心は、幕府を単なる武家政権ではなく、国家を統治する正当な政府として位置づけ、将軍の権威を「国王」として絶対化することにあった。その象徴的な政策が外交儀礼の変更である。朝鮮通信使の来日に際しては、幕府の財政負担を軽減するために接待を簡素化する一方で、将軍の称号を従来の「日本国大君」から「日本国王」に変更させた。これは、将軍こそが日本の実質的な最高権力者であることを対外的に明確にする意図があった。

また、国内においても朝廷との関係を重んじ、天皇の血統が絶えることを防ぐために閑院宮家(かんいんのみやけ)の創設を推進した。こうした一連の政策は、礼節や名分を重んじる儒教の理想を具現化しようとするものであった。

経済の再建と長崎貿易の統制

経済面では、綱吉時代の元禄期に生じた深刻なインフレーションの収束が急務であった。勘定吟味役の荻原重秀が主導した元禄の改鋳(金銀の含有率を下げること)により、市場に粗悪な貨幣が流通し物価高騰を招いていたため、白石は荻原を罷免した。そして、貨幣の質を初期の慶長金銀と同等の良質なものに戻す正徳金銀の鋳造を行った。しかし、この急激な通貨収縮策は深刻なデフレーションを引き起こし、かえって経済界に混乱をもたらす側面もあった。

対外経済においては、長崎貿易における金銀の海外流出が深刻な問題となっていた。これに対処するため、1715年に海舶互市新例(長崎新令)を発布した。これにより、清船やオランダ船の来航数や貿易額に厳格な制限を設け、国内の貴金属の枯渇を防ぐという重商主義的な統制を行った。

海外知識の受容と実証的研究

正徳の治は、西洋知識の吸収においても重要な足跡を残した。1708年、イタリア人宣教師のシドッチがキリスト教布教のために屋久島に潜入し捕縛されるという事件が起きた。白石は彼を江戸で自ら尋問したが、宗教的な偏見を交えることなく、シドッチの持つ豊かな西洋の地理や歴史、科学知識を冷静かつ実証的に引き出した。この尋問をもとに白石は『西洋紀聞』や『采覧異言』を著し、これが後の蘭学や西洋研究の先駆けとして高く評価されている。

正徳の治の歴史的意義と終焉

「正徳の治」は、武断政治から移行しつつあった文治政治を理論的・制度的に完成させたという点で大きな歴史的意義を持つ。しかし、白石の政策は儒教的理想主義に傾きすぎるきらいがあり、前述のデフレ政策や伝統的な武家社会の慣習を無視した儀礼の改変は、譜代大名や幕臣たちの強い反発を招いた。

1716年、7代将軍家継がわずか8歳で病没し、徳川宗家の血統が断絶すると、紀伊藩から徳川吉宗が8代将軍として迎えられた。実学を重んじる吉宗は即座に白石と間部を罷免し、彼らの法令の多くを撤回した。こうして正徳の政治は終わりを告げ、幕政は実務的で強力な将軍主導の享保の改革へと転換していくこととなる。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 欧米列強に対抗するため、明治政府が掲げた「経済を発展させて国を豊かにし、軍隊を強化する」というスローガンは何か?
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