石鏃 (縄文時代〜弥生時代)
【概説】
弓矢の先端に取り付けられた、石を鋭く打ち欠いて作った矢じり。更新世から完新世への移行期における環境変化に伴って登場し、縄文時代の生業において中心的な役割を果たした代表的な石器である。
環境変化と弓矢の登場
約1万数千年前に最後の氷期が終わり、日本列島が温暖化すると、植生は針葉樹林から落葉広葉樹林や照葉樹林へと移行した。これに伴い、それまで狩猟の主対象であったナウマンゾウなどの大型哺乳類が絶滅し、代わって動きが俊敏なシカやイノシシなどの中小型獣が森の主役となった。この素早く動く獲物を遠距離から的確に仕留めるために発明された新兵器が弓矢であり、その矢の先端に装着されたのが石鏃である。従来の槍を用いた近接戦から、遠隔での狙撃が可能になったことは、縄文人の獲得カロリーを劇的に増加させ、定住生活を支える安定した食料確保を可能にした。
製作技術と石材の広域流通
石鏃の多くは、黒曜石やサヌカイト、頁岩(けつがん)など、割ると鋭い刃ができる石材を用いて作られた。原石から打ち剥がした薄い剥片の周囲を、鹿の角などの工具を用いて細かく押し砕く技術(押圧剥離)によって、左右対称の鋭利な形状へと仕上げていく。これら良質な石材の産地は日本列島内でも限られており、長野県の和田峠や北海道の白滝(黒曜石)、大阪・奈良境の二上山(サヌカイト)などが知られている。これらの産地から数百キロメートルも離れた遺跡から同系統の石材で作られた石鏃が出土することは、縄文時代にすでに広範囲に及ぶ精緻な交易・流通ネットワークが存在していたことを実証している。
狩猟具から「武器」への変容
縄文時代の石鏃は、主として動物を狩るための生産用具(狩猟具)として機能しており、人間同士の戦闘に使用された例は極めて稀であった。しかし、大陸から本格的な水稲耕作が伝来した弥生時代に入ると、石鏃の役割は一変する。水田や余剰産物をめぐる集落間の対立、すなわち戦争が発生するようになると、石鏃は人間を殺傷するための「武器(石製武器)」としての性格を強めていった。弥生時代の石鏃は縄文時代のものに比べて大型化・重量化し、殺傷能力が向上した。実際に人骨の胸や腰の骨に突き刺さった状態で見つかる石鏃(受傷人骨)の出土例は、この時代に激しい武力衝突が存在したことを生々しく現代に伝えている。