荒事

江戸で市川団十郎(初代)が創始した、超人的な英雄や武神などを誇張した動きと隈取で力強く演じる歌舞伎の演技手法は何か。
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荒事

【概説】
江戸歌舞伎を代表する演技の型であり、荒々しく勇猛な武将や神仏などを誇張して演じる様式。17世紀後半の元禄期を中心に、初代市川團十郎によって創始された。武家の町である江戸の気風を色濃く反映して発展し、上方歌舞伎の「和事」と並ぶ近世演劇の重要な表現様式として定着した。

荒事の創始と江戸の気風

荒事(あらごと)は、江戸時代前期の延宝年間から元禄期にかけて、初代市川團十郎によって創始された歌舞伎の演技様式である。「荒武者事(あらむしゃごと)」の略称とも言われ、超人的な力を持った英雄や武将、神仏の化身などが、悪人や怨霊を豪快に打ち破るという勧善懲悪の筋立てを特徴とする。

この様式が江戸で熱狂的に支持された背景には、当時の江戸の都市構造と社会的な気風が深く関わっている。江戸は幕府のお膝元であり、多くの武士が居住する「武家の町」であった。また、町人たちも「江戸っ子」としての男伊達や勇肌(いさみはだ)を好む気風を持っていたため、力強く雄気堂々とした荒事の表現が彼らの嗜好に合致したのである。初代團十郎自身も、金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)の豪快な語り口や、修験道の呪術的な所作などを巧みに取り入れ、江戸独自の力強い演劇様式を確立していった。

荒事の表現上の特徴

荒事における最大の魅力は、現実離れした徹底的な「誇張」にある。その代表的な表現手段が隈取(くまどり)と呼ばれる独特の化粧法である。顔の血管や筋肉の隆起を強調するように赤や青の線を引くことで、役の持つ激しい怒りや超人的な力を視覚的に表現した。

また、衣装においても「車鬢(くるまびん)」と呼ばれる大きく広がったカツラや、太い綿を入れて筋肉を強調した衣装が用いられた。演技面では、感情の起伏や力強さを誇示するポーズである「見得(みえ)」や、両手両足を大きく振って花道を退場する「六方(ろっぽう)」といったダイナミックな所作が考案され、様式美の極致を形成した。これらは、観客に理屈抜きの視覚的興奮とカタルシスをもたらした。

上方の「和事」との対比

荒事の歴史的意義を理解する上で欠かせないのが、同時期に上方(京都・大坂)で成立した和事(わごと)との対比である。初代市川團十郎が江戸で荒事を大成させていた頃、上方では初代坂田藤十郎が、遊里における優男(やさおとこ)の恋愛模様を写実的かつ柔和に演じる和事を完成させていた。

武士の町・江戸で武勇と正義を称揚する「荒事」が発展し、古くからの町人の町・上方で色恋や人情の機微を描く「和事」が好まれたことは、当時の東西の文化事情や社会構成の違いを鮮やかに映し出している。江戸歌舞伎の「動・剛」と上方歌舞伎の「静・柔」は、日本の近世演劇における二大潮流となり、互いに影響を与え合いながら歌舞伎という芸術を豊かにしていった。

後世への継承と「歌舞伎十八番」

初代團十郎によって創出された荒事の様式は、その後も市川家によって代々受け継がれ、洗練されていった。江戸時代後期(天保期)になると、七代目市川團十郎が市川宗家のお家芸として「歌舞伎十八番」を制定した。『暫(しばらく)』や『矢の根(やのね)』、『鳴神(なるかみ)』、『勧進帳(かんじんちょう)』、『助六(すけろく)』など、今日でも上演頻度の高い名作の多くがこの荒事の系譜に属している。

荒事は単なる一時期の流行にとどまらず、市川家を「江戸歌舞伎の宗家」として権威づけるとともに、歌舞伎のビジュアルイメージそのものを決定づける役割を果たした。その誇張された様式美と勧善懲悪のエネルギーは、日本独自の美意識の結晶として、現代に至るまで多大な影響を与え続けている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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