アンボイナ事件

高校日本史的重要度
★★

アンボイナ事件 (あんぼいなじけん)

1623年

【概説】
1623年に東南アジアのモルッカ諸島アンボイナ島において、オランダ領東インド当局がイギリス商館員や日本人傭兵らを襲撃・殺害した事件。イギリスが東南アジアの香料貿易から撤退し、オランダの貿易独占が確立される決定的な契機となった事件である。

香料貿易をめぐる英蘭の対立と事件の勃発

17世紀初頭、大航海時代の後発国であったイギリスとオランダは、それぞれ東インド会社を設立してアジアへ進出し、高級香辛料(クローブやナツメグなど)の産地であるモルッカ諸島(香料諸島)の覇権をめぐって激しく対立していた。1619年には両国間で「防衛条約」が結ばれ、現地での競合を避けるための共同出資などの協調体制が模索されたが、現場での不信感は解消されなかった。こうした中、1623年にアンボイナ島のオランダ要塞において、「イギリス商館員が日本人傭兵と共謀してオランダ要塞の乗っ取りを企てた」として、オランダ側がイギリス人や日本人らを逮捕した。オランダ側は苛烈な拷問によって陰謀の自白を強要し、イギリス商館長代理をはじめとする商館員や、雇われていた日本人傭兵らを処刑した。これがアンボイナ事件である。

事件に巻き込まれた「日本人傭兵」と世界情勢

この事件で処刑された犠牲者のなかには、10名(諸説あり)の日本人が含まれていた。当時の日本は戦国時代が終焉した直後であり、国内で活躍の場を失った浪人や武士たちが、朱印船貿易などのルートを通じて東南アジアへと渡り、現地でイギリスやオランダの東インド会社に「傭兵」として雇われていた。アンボイナ事件における日本人たちも、イギリス商館にガードマンとして雇用されていた武芸者たちであった。この事件は、当時の日本人が単なる貿易の受け手にとどまらず、海外の武力紛争や植民地獲得競争に直接巻き込まれていたという、17世紀初頭の激動するアジア国際社会のリアルな実態を物語っている。

アジア貿易の覇権交代と江戸幕府への影響

アンボイナ事件は、その後の東西貿易のあり方を大きく塗り替えた。この事件に激怒したイギリスであったが、東南アジアにおけるオランダの軍事的優位を覆すことができず、最終的に香料諸島からの撤退を余儀なくされた。以後、イギリスは活動の主軸をインドへと移し、後に同地における植民地支配を確立していくこととなる。一方、オランダは東南アジアにおける香料貿易の独占権を確固たるものとした。日本史の観点からも、この1623年は平戸のイギリス商館が閉鎖されてイギリスが日本貿易から撤退した年であり、結果としてオランダによる対日貿易の独占、ひいては江戸幕府による「鎖国」体制の完成を大きく引き寄せることとなった。

最終更新:
2026年8月15日 @ 10:06

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