百姓
【概説】
江戸時代の村落に居住し、幕藩体制の経済的基盤を支えた身分および人々の総称。専ら農業に従事する農民だけでなく、林業や漁業、手工業、商業など、村落において多様な生業を営む者も広く含まれていた。
身分としての「百姓」と「農民」の違い
一般に「百姓」という言葉は「農民」と同義であると誤解されがちであるが、歴史学、特に近世史研究においては明確に区別される。幕藩体制下の身分制度(いわゆる「士農工商」)において「農」に位置づけられる人々であるが、その実態は「農業従事者」にとどまらない。
百姓とは、都市部である「町」に住む町人に対して、「村(村落)」に居住し、検地帳に名を連ねて領主への貢租(年貢・諸役)の負担義務を負う人々の身分的な呼称であった。古代に一般民衆を指した「百の姓(おおみたから)」に由来するこの言葉は、江戸時代を通じて、武士や町人と区別された「村に生きる平民」という広義の社会的枠組みを示すものであった。
村落社会における階層構造
江戸時代の村落社会において、百姓の中には明確な階層構造が存在した。最も中核をなしたのは、太閤検地や江戸幕府の検地によって検地帳(水帳)に登録され、田畑や屋敷地の所持を公認された本百姓(ほんびゃくしょう)である。高持百姓とも呼ばれた彼らは、年貢をはじめとする諸負担の義務を負うと同時に、村の意思決定(村政)に参加し、入会地(いりあいち)を利用する権利を持っていた。この本百姓の中から、名主(西国では庄屋、東北では肝煎)、組頭、百姓代と呼ばれる村方三役(村役人)が選出され、村の自治的運営が担われた。
一方で、田畑を持たず、主に本百姓の元での小作や日雇い労働(日用稼ぎ)によって生計を立てる人々を水呑百姓(みずのみびゃくしょう)(無高百姓)と呼んだ。さらにその下には、有力な本百姓に隷属して家内労働や農作業に従事する名子(なご)や被官(ひかん)、譜代(ふだい)といった身分も存在し、村落内部は一枚岩ではなく複雑な上下関係によって構成されていた。
生業の多様性と商品経済への展開
百姓の大きな特徴は、その生業が極めて多様であった点である。平野部の村々では稲作を中心とした農業が主体であったが、山間部では林業、炭焼き、狩猟に携わり、沿岸部や島嶼部では漁業、製塩、海運業に専従する者も多数存在した。幕府や大名も彼らを「百姓」として扱い、海産物や山の幸などを年貢(小物成)として徴収した。
また、時代が下り貨幣経済が浸透すると、百姓の経済活動はさらに多角化した。農閑期の手工業にとどまらず、紅花、藍、木綿、桑といった商品作物(四木三草など)の栽培を本格化させた。18世紀以降には、村落内で酒造業や織物業などの農村工業を営む者や、特産品を都市に売り込む「在郷商人(ざいごうしょうにん)」として台頭する者も現れた。これにより、村落内で富を蓄積した豪農が成長する一方、土地を手放して没落する百姓も増加し、階層分化(農民層の分解)が進行していくこととなった。
幕藩体制を支えた義務と力強い抵抗
百姓は、幕藩体制という巨大な統治機構の根幹を支える存在であった。領主から課せられる負担は重く、米で納める本途物成(ほんとものなり)(年貢)のほか、山野河海の利用や副業に対して課される小物成、村高に応じて課される高掛物、交通に人馬を提供する伝馬役、土木工事等に駆り出される国役など多岐にわたった。幕府や諸藩は、村全体を一つの単位として年貢を納めさせる村請制(むらうけせい)をとり、五人組を通じた連帯責任と相互監視のシステムを構築して確実な年貢徴収を図った。
しかし、百姓は単に搾取されるだけの受動的な存在ではなかった。彼らは村落共同体としての結束を強め、領主からの不当な要求や過酷な増税に対しては、村を挙げて百姓一揆を起こした。初期の代表越訴型一揆から、全村落が蜂起する惣百姓一揆、さらには傘連判状を用いて首謀者を隠蔽する戦術まで、時代とともに抵抗の手段を洗練させていった。彼らは自らの生活と村の自治を守るため、時には命懸けで為政者と交渉し、近世社会の歴史を動かす力強い原動力でもあったのである。