有松絞 (ありまつしぼり)
【概説】
江戸時代に尾張国知多郡有松(現・愛知県名古屋市緑区)を中心に生産された、木綿布に精緻な絞り染めを施した特産品。東海道の街道名物として旅人の間で爆発的な人気を博した、日本の農村家内工業および専売制度の発展を示す代表的な工芸品である。
有松の開村と絞り染めの誕生
江戸幕府が成立した直後の1608年(慶長13年)、尾張藩は東海道の防衛と治安維持を目的として、池鯉鮒宿(知立宿)と鳴海宿の間に新たな集落である有松を開村した。しかし、有松周辺は丘陵地で農業に適さなかったため、住民は農業以外の生業を模索する必要に迫られた。
当時、名古屋城の築城工事に加わっていた九州の豊後国(大分県)の者から、木綿を縛って染める「豊後絞り」の技法が伝わった。有松の住人であった竹田庄九郎らは、この技法をもとに、三河地方で広く生産されていた三河木綿を用いて独自の絞り染め(手拭いや浴衣地など)を開発した。これが有松絞の起源である。
東海道の隆盛と街道名物への発展
江戸中期にかけて、参勤交代の制度化や、伊勢参りなどの庶民による社寺参詣が活発化すると、五街道の一つである東海道の通行量は飛躍的に増大した。有松絞は「軽くてかさばらず、旅の土産に最適である」として、道中を行き交う旅人たちから熱狂的な支持を集めた。
その人気ぶりは、歌川広重の浮世絵『東海道五十三次』の「鳴海」において、有松絞を売る店が立ち並び、賑わう様子が描かれていることからも伺える。このように、交通網の整備と旅ブームという、江戸時代の社会情勢が有松絞の商業的成功を強く後押しした。
尾張藩の保護政策と専売制
有松絞の成功に注目した尾張藩は、これを重要な領内特産品として保護・統制する道を選んだ。藩は有松以外の地域での絞り染めの製造を禁止し、有松に営業専売権を与えることで、偽物の流通を防ぎブランドの価値を維持した。また、隣接する鳴海宿との間で販売権を巡る相論が発生した際にも、藩の調停により有松の特権が守られた。
江戸後期には、様々な技法の開発(蜘蛛絞り、雪花絞りなど)によって多様な意匠が生み出され、日本の織物文化・染物文化の最高峰へと発展した。有松絞の歴史は、江戸時代における藩の特産品推奨(産業振興策)や、特権商人・職人の結合による独占体制の構築を示す典型例として、経済史的にも極めて重要な位置を占めている。