織田信秀

高校日本史的重要度
★

【参考リンク】
織田信秀(Wikipedia)

織田信秀 (おだのぶひで)

1511年?〜1552年

【概説】
戦国時代の尾張国(愛知県)の武将であり、織田信長の父。尾張守護代の家臣(三奉行の一家・織田弾正忠家)の出自ながら、流通の要衝を支配して強大な経済力を獲得し、のちの織田氏飛躍の基礎を築いた人物。

津島・熱田の掌握と経済的基盤の確立

織田信秀が戦国大名として急速に台頭した背景には、当時の尾張国における物流・商業の拠点を完全に掌握した点がある。信秀は伊勢湾交易の要衝であった港湾都市津島(津島湊)や、東海道の宿場町であり門前町でもあった熱田を支配下に収めた。これらの都市から得られる通行税や商業手数料、そして活発な交易から生じる莫大な富は、織田弾正忠家に大きな財力をもたらした。この豊かな資金力が、のちの信長による兵農分離や鉄砲の大量導入といった革新的な軍事・経済政策を可能にする土台となったのである。

周辺大名との抗争と中央政界での名声

豊かな財力を背景に、信秀は美濃(岐阜県)の「美濃の斎藤道三」や、駿河・遠江(静岡県)の「今川義元」といった周辺の強力な戦国大名と互角に渡り合った。また、三河(愛知県東部)の松平氏(後の徳川家康の祖先)に対して軍事的圧力を加え、家康(竹千代)を人質に取るなど勢力を拡大した。さらに、朝廷への内裏修理費の献上や、伊勢神宮の式年遷宮への資金援助を行うことで、京都の朝廷や室町幕府との太いパイプを構築。地方の一国人でありながら全国的な知名度と権威を獲得し、織田家が天下に覇を唱える道筋をつけた。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:05

日本史一問一答(ランダム)

Q. 追捕使として派遣され、源経基らとともに藤原純友の乱を鎮圧した武将(公卿)は誰か。
Q. 自身の著書『刑法読本』などが危険思想とみなされ、1933年に文部省から強制的に休職処分を受けた京都帝大の教授は誰か?
Q. 実際に任地に赴任した国司の最上席者のことで、徴税を請け負って強大な権限を持ち、巨富を蓄える者も現れた役職は何か。