山鉾巡行

高校日本史的重要度
★★

【参考リンク】

「鉾」の書き方

山鉾巡行 (やまほこじゅんぎょう)

【概説】
京都の八坂神社祇園社)の祭礼である祇園祭において、豪華に装飾された「山」と「鉾」が都の大路を練り歩く最大の見せ場。応仁の乱によって一時途絶したものの、京都の町衆の不屈の精神と経済力によって復活を遂げた。安土桃山時代には、海外からもたらされた美術工芸品などで飾られ、町衆の自治と富を象徴する華麗な都市祭礼へと発展した。

応仁の乱による中断と町衆による復活

祇園祭(古くは祇園御霊会)は、平安時代の貞観年間(9世紀後半)に疫病退散を祈願して始まったとされる、きわめて歴史の古い祭礼である。しかし、1467年に勃発した応仁の乱により、京都の市街地は徹底的に破壊され、祭礼のシンボルであった山鉾巡行も約33年間にわたって中断を余儀なくされた。

これを復活させたのが、荒廃した京都の復興を担った商工業者たち、すなわち町衆であった。彼らは自治組織である「町」や「町組」を結成し、団結力を強めていった。1500年(明応9年)、町衆室町幕府の制止や財政難を乗り越え、自らの手で山鉾巡行を再興した。この復活劇は、京都の町が武家や公家ではなく、庶民の手によって再建されつつあることを天下に示す象徴的な出来事となった。

安土桃山時代における豪華絢爛化と桃山文化

安土桃山時代に入ると、山鉾巡行はさらなる進化を遂げた。この時代は織豊政権のもとで海外交易が活発化し、ヨーロッパから南蛮美術やキリスト教文化、アジア諸国から染織品などの異国情緒あふれる文物が日本に流入した。町衆はこれら南蛮貿易などでもたらされたゴブラン織のタペストリーや、ペルシャ産の絨毯、中国(明)の織物などを競って買い求め、山鉾の懸装品(装飾)として用いた。

このような「動く美術館」とも称される華麗な装飾は、時代の気風である豪華絢爛な桃山文化を体現するものであった。戦国大名たちの富と権力の誇示に対抗するように、京都の町衆もまた、己の経済力と文化的センスを山鉾巡行という晴れの舞台で誇示したのである。山鉾巡行は、単なる宗教行事の枠を超え、町衆の自治の誇りと、復興を遂げた近世都市・京都のエネルギーを現在に伝える文化遺産となった。

最終更新:
2026年8月12日 @ 22:55

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Q. 1180年、以仁王の挙兵後に平清盛が突然遷都を強行したが、貴族の強い反発に遭ってわずか半年で京都に戻された都はどこか?
Q. 歌舞伎の演目のうち、江戸の最下層の庶民の生活や泥棒などの悪事を、極めて写実的に(リアルに)描いたジャンルを何というか?