生糸

南蛮貿易において、ポルトガル船がマカオなどから日本へもたらした最大の輸入品(中国産の絹の糸)は何か?
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生糸

【概説】
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての南蛮貿易における最大の輸入品。明の海禁政策により直接入手が困難だった中国産の高級な絹糸を、ポルトガル船がマカオ経由で持ち込んだものである。国内の高級絹織物需要を満たすために大量に輸入され、代価として日本の銀が大量に流出するという、当時の国際貿易の基本構造を作り上げた。

南蛮貿易における最大の輸入品

16世紀後半から17世紀初頭にかけて行われた南蛮貿易(日葡貿易)において、日本がポルトガル船から輸入した品目の大部分を占めたのが、中国産の高級な生糸(白糸)である。当時の日本でも養蚕は行われていたが、その品質は低く、西陣織などに代表される高級絹織物を生産するためには、品質の高い中国産生糸が不可欠であった。戦国大名や富裕な町人の台頭によって国内で高級衣料への需要が急増していたことも、生糸輸入に拍車をかけた。

明の海禁政策とポルトガルの中継貿易

当時、中国を支配していた明朝は、倭寇の活動を警戒して厳しい海禁政策をとっており、1547年以降は日本との正式な勘合貿易も完全に断絶していた。そのため、日本は自国で消費するための中国産生糸を合法的に直接入手することが困難な状況にあった。この間隙を縫って莫大な利益を上げたのがポルトガル商人である。彼らは1557年に居住権を獲得したマカオを拠点とし、広州で買い付けた中国産生糸を日本の長崎へ運んで売りさばくという中継貿易を展開した。

銀の大量流出と日葡貿易の構造

ポルトガル船がもたらす生糸は日本で飛ぶように売れ、彼らはその代金として日本産の銀を大量に獲得した。当時、石見銀山をはじめとする日本の銀山は「灰吹法」の導入により世界有数の産出量を誇っており、「中国産生糸の輸入と日本産銀の輸出」という交換関係は、日葡貿易における最大の基軸となった。しかし、ポルトガル商人が生糸の価格を意図的に吊り上げたため、日本国内の生糸価格は高騰し、結果として大量の銀が海外へと流出することになった。

糸割符制度の創設から幕末の一大輸出品へ

この生糸価格の高騰と銀の流出に歯止めをかけるため、江戸幕府は1604年に糸割符制度(白糸割符制度)を創設した。特定の特権商人(糸割符仲間)に生糸の独占購入権を与え、ポルトガル商人からの買い付け価格を一括して統制する政策である。その後、鎖国体制の確立によってポルトガル船の来航は途絶えるが、中国産生糸への依存はオランダ船や清の船を通じてしばらく続いた。

しかし、江戸時代中期以降になると、幕府の奨励政策や商品作物栽培の発達により国内での養蚕・製糸業が急速に発展し、良質な国産生糸(和糸)が生産されるようになる。そして幕末の開港以降、生糸は一転して日本最大の「輸出品」となり、外貨を獲得して近代日本の資本主義育成と産業革命を牽引する極めて重要な役割を担うこととなるのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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