長次郎

千利休の指導のもと、わび茶の精神を体現した黒楽茶碗などを創始した初代の陶工は誰か?
カテゴリ:
重要度
★★

長次郎 (ちょうじろう)

?〜1589年

【概説】
安土桃山時代に活躍し、京都を代表する陶器である「楽焼(らくやき)」の祖となった陶工。茶人・千利休の指導のもとで、黒や赤の簡素ながら深い味わいを持つ「楽茶碗」を生み出し、わび茶の美意識を具現化した人物。

千利休の「わび茶」との邂逅と楽茶碗の誕生

長次郎の出自については諸説あるが、中国(明)系の瓦工(かわらこう)であった阿米陀(あみだ)の子、あるいはその技術を受け継ぐ職人であったとされる。彼が歴史の表舞台に登場するのは、織豊期に茶の湯の天下人として君臨した千利休との出会いによる。当時、茶の湯の世界では中国産の「唐物(からもの)」や朝鮮半島由来の「高麗物(こうらいもの)」が珍重されていたが、利休はそれらとは異なる、自身の精神性を反映した究極の茶碗を求めていた。そこで利休は長次郎の瓦づくりの技術、特に軟質で手捏ね(てづくね)に適した粘土の扱いに着目し、新たな茶碗の制作を依頼した。こうして誕生したのが、型を使わず手とへらだけで成形し、独自の窯で低温で焼き上げる楽茶碗である。

黒楽と赤楽が示す「わび」の造形美

長次郎が手がけた茶碗は、主に黒楽(くろらく)赤楽(あからく)に大別される。黒楽は加茂川の黒石から作った釉薬を施して急冷することで漆黒の深い艶を生み出し、赤楽は赤土を焼き上げることで素朴な温かみを持たせている。これらは、ロクロを使用しないためわずかに歪みがあり、手にしたときに人間の手のひらに馴染む独特の存在感を持っていた。均整がとれた完成された美を否定し、不完全さや削ぎ落とされた簡素さの中に精神的な豊かさを見出そうとした利休の「わび茶」にとって、長次郎の茶碗は不可欠な道具となった。長次郎の没後、その技術は豊臣秀吉から「楽」の黄金の印を授かったと伝える、のちの楽家(らくけ)へと継承され、京都の伝統文化として現在に至るまで脈々と受け継がれている。

楽「長次郎」研究&「利休」と「南坊録」

長次郎の作陶と思想を解き明かし、南坊録の真実を追究するスリリングな茶の湯研究の決定版。

千利休の「わび」とはなにか (角川ソフィア文庫)

千利休がたどり着いた「わび」の境地を、数々のエピソードと史料から読み解く思索の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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