山北・中山・南山(三山) (さんほく・ちゅうざん・なんざん(さんざん)
【概説】
14世紀から15世紀前半にかけて、琉球(現在の沖縄本島)に割拠していた3つの小国家群。各地の首長である按司を統合して形成され、それぞれが明と朝貢貿易を行って覇を競ったが、1429年に中山の尚巴志によって統一された。
グスク社会の進展と三山の並立
琉球列島では12世紀頃から農耕社会が本格化し、各地にグスク(城塞)が築かれ、按司(あじ)と呼ばれる地域の首長が台頭し始めた。14世紀に入ると、弱小な按司は有力な按司に淘汰・吸収されていき、沖縄本島は大きく3つの勢力圏に集約されていった。これが山北(北山とも呼ばれる)、中山、南山の三山である。
北部を支配した山北は今帰仁(なきじん)グスクを拠点とし、中部の有力勢力であった中山は浦添(うらそえ)グスクを、南部を支配した南山は大里(おおざと)グスクをそれぞれの中心に据えて激しく対立した。この三山が鼎立した時代は、日本本土における南北朝時代から室町幕府の初期にあたる動乱期とほぼ軌を一にしている。
明の冊封体制と中継貿易の展開
三山時代の琉球にとって決定的な転機となったのが、中国大陸における明の建国である。1372年、明の初代皇帝・洪武帝からの招諭を受けた中山王の察度(さっと)が、初めて明に朝貢を行った。これに追随する形で、山北王の怕尼芝(はにじ)、南山王の承察度(うふさと)も相次いで明に遣使した。こうして三山の王たちはそれぞれ明から冊封を受け、明の権威を背景にして自らの正統性を主張し、熾烈な競争を繰り広げた。
当時の明は、民間人の海上交易を厳しく禁じる海禁政策をとっていたため、周辺諸国は明との公的な朝貢貿易を通じてのみ中国産品を入手できた。三山の王たちは明から大型の海船や航海技術者を下賜され、中国の陶磁器や絹織物を東南アジア諸国や日本本土(室町幕府や九州の有力大名)へ転売する中継貿易を本格的に展開した。これにより各勢力は莫大な富を蓄積し、琉球は東アジア海域世界における交易の十字路へと成長していくこととなった。
尚巴志による三山統一と琉球王国の誕生
15世紀に入ると、中山の支配下にあった南部の佐敷(さしき)の按司・尚巴志(しょうはし)が急速に台頭した。尚巴志は1406年に中山王の武寧(察度の子)を滅ぼして首里(しゅり)を新たな拠点とし、父の尚思紹(しょうししょう)を中山王に据えた。これが第一尚氏王統の始まりである。
実権を握った尚巴志は、自らも中山王に即位したのち、武力による統一事業を推し進めた。1416年(一説に1422年)には難攻不落とされた今帰仁グスクを陥落させて山北を滅ぼした。さらに1429年、内紛に乗じて南山王の他魯毎(たるみい)を討ち滅ぼし、およそ1世紀にわたって続いた三山時代に終止符を打った。ここに、沖縄本島を統一した初の独立国家である琉球王国が誕生したのである。尚巴志は首里城を拡張・整備し、王国の政治・経済・文化の中心として揺るぎない基盤を確立した。
歴史的意義と現代への遺産
三山時代は、琉球が単なる地域的な農耕社会から、広域な国際交流ネットワークを持つ国家へと飛躍を遂げた極めて重要な過渡期である。三山が競い合うように明と結びつき、東アジアおよび東南アジアとの中継貿易ルートを開拓したことが、のちの琉球王国の「大交易時代」と呼ばれる黄金時代を準備したと言える。
また、三山時代に築かれた今帰仁城跡をはじめとする壮大なグスク群は、当時の熾烈な抗争と海外交易による繁栄の歴史を今に伝える貴重な遺産であり、現在は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録されている。