三山時代

14世紀の琉球(沖縄)において、3つの有力な勢力が並立して争っていた時代を何というか?
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重要度
★★

三山時代 (さんざんじだい)

14世紀〜1429年

【概説】
14世紀の琉球(沖縄本島)において、北部の山北、中部の中山、南部の南山の3つの政治勢力が鼎立し、覇権を競い合った時代。それぞれが中国の明朝と個別に朝貢貿易を展開し、外交と交易の利権をめぐって対立を続けた。1429年に中山の尚巴志によって統一され、統一国家である琉球王国が誕生する契機となった。

三山の成立とその地域的特性

11世紀から12世紀にかけて、沖縄本島では農耕社会の発達にともない、各地に「グスク(城)」を拠点とする有力な地域首長である按司(あじ)が台頭した。14世紀に入ると、これらの按司たちが合従連衡を繰り返し、やがて3つの広域的な政治勢力へと統合されていった。これが「三山(さんざん)」である。

沖縄本島北部を支配した山北(さんほく、北山とも)は、今帰仁(なきじん)グスクを拠点とし、広大な領土を有していたが、山がちで人口が少なく経済的には他山に劣っていた。本島中部を統治した中山(ちゅうざん)は、浦添(うらそえ)グスクを拠点とし、肥沃な平野部と良港(那覇港)を擁して最も強力な勢力を誇った。本島南部を支配した南山(なんざん、山南とも)は、大里(おおざと)グスクを拠点とし、農業生産力と南方の離島との交易ルートを背景に中山と対峙した。これら3つの勢力は、それぞれが王を称して割拠した。

明への朝貢と対外交易の覇権争い

三山時代を特徴づける最大の要因は、中国の明(みん)を中心とする国際秩序への参入である。1372年、明の洪武帝が招諭の使者を送ると、中山王の察度(さっと)がいち早くこれに応じて朝貢を開始し、明の冊封体制に入った。これに対抗して、1380年には山北王が、1383年には南山王も明への朝貢を開始し、3つの勢力が個別に中国皇帝から公認を得るという奇妙な並立状況が生じた。

当時、明は民間貿易を禁じる「海禁」政策をとっていたため、皇帝への朝貢による公貿易は極めて高い利益をもたらした。三山はそれぞれ明に朝貢し、そこで得た中国の陶磁器や絹織物を日本や朝鮮、東南アジアへ転売し、逆に東南アジアの胡椒や香木を明に献上するという「中継貿易」を展開した。明からの外交的認知と貿易特権をめぐる争いは、三山間の対立をよりいっそう激化させることとなった。

尚巴志による統一と琉球王国の誕生

15世紀初頭、この割拠状態を終息させる勢力が現れた。沖縄本島南部の佐敷(さしき)を拠点とする按司であった尚巴志(しょうはし)である。尚巴志は1406年、中山王の武寧(ぶねい)を滅ぼし、父の尚思紹(しょうししょう)を中山王に即位させて実権を握った(第一尚氏王統の始まり)。

中山の経済力と軍事力を手に入れた尚巴志は、統一事業を本格化させる。まず1416年に険阻な要害であった北部の山北(北山)を滅ぼし、次いで1429年には南部の南山(山南)を攻略して沖縄本島の統一を達成した。ここに約1世紀に及んだ三山時代は終結し、首里城を王都とする統一国家琉球王国が成立した。三山時代に培われた東アジア・東南アジアを結ぶ大規模な中継貿易の基盤は、その後の琉球王国の「大交易時代」へと引き継がれていくこととなる。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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