五山僧 (ござんそう)
【概説】
鎌倉および京都の「五山」に指定された格式高い禅寺に所属した、臨済宗の禅僧のこと。室町幕府の厚い庇護と統制のもとで、宗教活動のみならず、政治、外交、学問、芸術など多方面で活躍し、中世日本の代表的な知識人集団として君臨した。
五山制度の整備と幕府による統制
鎌倉時代に宋から伝来した臨済宗は、鎌倉幕府の執権北条氏の帰依を受け、日本に定着した。室町時代に入ると、足利尊氏や直義が禅宗に深く傾倒し、3代将軍足利義満の時代に、京都と鎌倉のそれぞれに格付けされた5つの最高位の禅寺を定める「五山・十刹の制」が確立された。
これにより、五山に属する寺院は幕府の公認を得た官寺となり、そこで活動する五山僧は国家的な庇護を受けるエリート僧侶となった。幕府は禅僧の最高位に「僧録(そうろく)」を置き、初代の春屋妙葩(しゅんおくみょうは)以降、相国寺の塔頭である鹿苑院に設置された僧録司を通じて、五山僧の補任や寺務を厳格に統制した。この政治的権力と密接に結びついた五山僧は、世俗の権力と距離を置き野に下って修行を重んじた「林下(りんか)」と呼ばれる大徳寺や妙心寺などの一派とは一線を画していた。
外交と幕政を支えた「知識人官僚」としての役割
五山僧の最も重要な歴史的役割の一つが、室町幕府における「官僚」および「外交顧問」としての実務である。当時の武士層には漢文による高度な行政・外交文書を執筆する能力が不足していたため、大陸の最新の知識や漢学を身につけていた五山僧がその実務を担った。
特に足利義満が開始した日明貿易(勘合貿易)において、明に対する国書の起草や、使節としての派遣には五山僧が不可欠であった。明や朝鮮、琉球といった近隣諸国との外交交渉において、五山僧は東アジアの国際秩序(冊封体制)に通じた外交官として機能し、幕府の権威を高めることに貢献した。この伝統は、後の江戸時代に幕府の外交実務を担った以心崇伝などの「金地院僧録」へと受け継がれていくこととなる。
五山文学の隆盛と印刷文化への貢献
五山僧は、当時の最先端学問であった宋・元の新儒学(朱子学)や、漢詩文などの大陸文化を日本に導入する主たる担い手であった。彼らが創作した高度な漢詩文は五山文学と呼ばれ、南北朝時代から室町初期にかけて最盛期を迎えた。その代表格が、足利義満の寵愛を受けた義堂周信(ぎどうしゅうしん)や、明に渡ってその文才を高く評価された絶海中津(ぜっかいちゅうしん)である。彼らは「五山双璧」と称され、日本の漢文学の基礎を築いた。
また、これらの学問・文学を普及させるため、五山僧は独自の木版印刷による出版事業を行い、これを五山版(ござんばん)と呼ぶ。五山版によって多くの禅籍や漢籍、儒学書が印刷・流通したことは、日本国内の知的・文化的底上げに大きく寄与し、後の近世日本の学問的発展にも計り知れない影響を与えた。