節用集
【概説】
室町時代中期に編纂され、江戸時代にかけて広く実用に供された国語辞典。見出し語を「いろは順」に並べた上で、天地や草木といった意味別の部門に分類しているのが特徴である。武士や庶民の台頭による読み書き需要の増加を背景に普及し、のちには日用百科事典としての役割も果たすようになった。
「節用集」の成立と画期的な検索システム
節用集は、室町時代の15世紀後半頃(応仁の乱の前後)に成立したとみられる国語辞典である。「節用」という書名は、「用を節する」、すなわち「日常の利用において便利である(手間を省く)」という意味に由来すると考えられている。
この辞書の最大の特徴は、その検索のしやすさにある。見出し語の第一音を「いろは順」(い・ろ・は…)で排列し、さらにその中で「天地」「時候」「草木」「器用」「言語」などの意味別の部門(門目分類)に分けて単語を収録するという、二重の分類法を採用した点である。これにより、利用者は調べたい言葉の発音から直感的に、かつ同類の語彙と比較しながら漢字や意味を引くことが可能となった。
室町時代の社会変動と実用辞典の需要
節用集が成立した室町時代は、社会経済が大きく変動した時代であった。農業生産力の向上や貨幣経済の浸透に伴い、各地で商業が活発化し、京都や堺などの都市では町衆と呼ばれる新興の有力市民が台頭した。また、在地社会では武士や名主層の権力が成長し、彼らが実質的な社会の担い手となっていった。
こうした経済的・社会的ネットワークの拡大は、商取引における証文の作成や遠隔地との書状のやり取りなど、実社会における「読み書き」の必要性を飛躍的に高めることとなった。従来、学問や辞書は公家や五山禅僧など一部の特権的な知識人層に独占されていたが、文書作成を日常的に行う武士や商人層にとって、難解な漢籍ではなく、日常語彙を網羅した実用的な辞書が強く求められるようになったのである。1444年に成立した『下学集』(部門別分類の国語辞典)とともに、節用集は中世社会における識字層の裾野の広がりを象徴する史料といえる。
近世社会への展開:「日用百科事典」への進化
中世末期に写本として広まった節用集は、江戸時代に入ると木版印刷技術の普及と相まって、一般庶民の間に爆発的に普及していった。16世紀末にはキリシタン版としてローマ字綴りの『落葉集』が刊行されたほか、江戸時代初期には林宗二が編纂した『饅頭屋本(まんじゅうやぼん)節用集』が広く流通するなど、多種多様な異本が生み出された。
近世期の節用集は、版を重ねるごとに大規模な増補改訂が施され、単なる漢字・国語辞典の枠を越えていった。巻頭や巻末に、書札礼(手紙の書き方の作法)、武鑑(大名や役人の名簿)、国尽(地理情報)、年中行事、度量衡の解説など、生活に直結する様々な付録情報が盛り込まれるようになったのである。
こうして節用集は、江戸時代の庶民にとって一家に一冊の「日用百科事典(重宝記)」へと進化を遂げた。「節用」という言葉自体が「便利な字引・便覧」を意味する一般名詞となるほど日本人の生活と文化に深く根付き、近代的な近代辞書が登場する明治時代に至るまで、長期にわたって日本社会の知的インフラを支え続けたのである。