庭訓往来 (ていきんおうらい)
【概説】
南北朝時代から室町時代初期にかけて成立したとみられる、書簡(手紙)形式の初等教育用教科書。一年十二か月の往復書簡のなかに当時の生活に密着した豊富な語彙が網羅されており、江戸時代にかけて寺子屋などで武士や庶民の手習いの手本として広く用いられた。
「往来物」の代表的古典とその成立
往信と返信という手紙のやり取りの形式をとる書物を往来物(おうらいもの)と呼ぶが、『庭訓往来』はその代表的かつ古典的な存在である。成立時期は南北朝時代から室町時代初期(14世紀中頃〜後半)と推定されている。古くから著者は『太平記』の編纂にも関わったとされる比叡山の学僧・玄恵法印(げんえほういん)であるとの伝承が広く信じられてきた。しかし確証はなく、実際には同時代の複数の知識人によって編纂・加筆されながら完成したものと考えられている。
書名「庭訓」の由来と百科事典的な内容
「庭訓」という言葉は、中国の『論語』において、孔子が庭を走り抜けようとした息子の鯉(り)を呼び止め、詩や礼を学ぶことの重要性を説いたという故事に由来し、「家庭における教訓」や「父からの教え」を意味する。
本書は1月から12月まで、各月ごとに往信と返信の2通(8月のみ3通)の合計25通の書簡で構成されており、文体は後に公用文の基本となる和化漢文(候文のルーツ)で書かれている。最大の特徴は、単なる手紙の挨拶文の模範にとどまらず、衣食住、武具、仏教行事、職業、動植物、病気と薬など、多岐にわたる分野の名詞(単語)が文中に巧みに織り込まれている点である。これにより、当時の人々が社会を生きていく上で必要な知識を網羅した、一種の百科事典のような役割を果たした。
江戸時代の寺子屋における普及と影響
室町時代においては主に武家や公家、僧侶など、支配層・知識層の子弟の教育に用いられていたが、江戸時代に入ると出版文化の発達により木版印刷で大量に刊行されるようになった。これに伴い、庶民の初等教育機関である寺子屋(手習塾)において、習字(手習い)と読解のための最も基本的な教科書として爆発的に普及した。
『庭訓往来』があまりにも有名になり広く普及したため、「往来」という言葉自体が「教科書」を意味する普通名詞となった。その後、江戸時代を通じて対象者や目的に合わせ、『商売往来』『農人往来』『女庭訓』など、約7000種にも及ぶ無数の派生的な「往来物」が作られることとなり、日本の識字率向上と教育水準の底上げに絶大な貢献を果たした。
中世社会・生活史を紐解く第一級の史料
『庭訓往来』は教育史における重要性だけでなく、室町時代の社会経済史や文化史を研究する上での第一級の史料としても高く評価されている。文中に列挙された無数の語彙からは、中世社会に流通していた特産品や建築様式、武士の装備、年中行事の様子がリアルに読み取れるからである。
また、手紙のやり取りの背景(文脈)には、当時の訴訟制度、悪党の跋扈、年貢の取り立て、職人や商人の活動など、中世特有の社会情勢が色濃く反映されている。単なる学習用の単語帳を超え、当時の人々がどのような社会システムの中で生活を営んでいたかを後世に伝える貴重な歴史的証言となっているのである。