大唐米 (だいとうまい)
【概説】
鎌倉時代に中国から伝来した、赤米(インディカ種)の一種。粘り気が少なく食味は劣るものの、日照りや病害虫に強く、劣悪な環境下でも多くの収穫量を得られる特徴を有していた。中世の農業生産力向上を底辺から支え、農民の自給用食糧として重要な役割を果たした作物である。
中国からの伝来と作物品種としての特長
大唐米は、中世の日宋貿易や日元貿易の活発化に伴い、中国(宋・元)から日本に導入された外来の米種である。系統としては、日本で古くから栽培されていたジャポニカ種(粳米など)とは異なり、細長く粘り気の少ないインディカ種(籼米)に属する。精米すると赤み帯びるため「赤米(あかまい)」とも呼ばれた。
食味の点では、粘り気が強く味わい深い在来種に比べて著しく劣ると評された。しかし、大唐米にはそれを補って余りある強靭な生命力があった。乾燥に強いため旱魃(日照り)の影響を受けにくく、また害虫や水害、さらには病気にも強い。肥料が不足した痩せた土地でも十分に育ち、なおかつ在来種よりも圧倒的に収穫量(収量)が多いという、農業経営上きわめて有利な特長を持っていた。
中世農業技術の発展と二毛作への影響
鎌倉時代は、日本の農業技術が画期的な進化を遂げた時代である。刈敷や裏作の緑肥、あるいは牛馬耕の普及に加え、この大唐米の導入は農業の安定化に決定的な役割を果たした。中世の日本は灌漑(水利)設備が未発達な地域が多く、天候不順による飢饉が頻発していた。このような時代背景において、劣悪な環境でも結実する大唐米は、農民にとって飢餓から身を守るための最強の救荒作物となった。
また、大唐米の導入は、西日本を中心に普及しつつあった麦との二毛作(米の裏作として麦を栽培する技術)とも密接に関連していた。大唐米の中には早生(早く収穫できる品種)のものもあり、収穫期を分散させることで天候リスクを回避し、計画的な土地利用と二毛作の円滑なサイクル構築に寄与したのである。
自給用食糧としての定着と二重の米消費構造
大唐米の普及は、中世日本の社会構造にも影響を与えた。領主階級は、年貢として品質が高く市場価値のある在来種の白米(粳米)を要求した。そのため、農民たちは年貢用として良質な在来種を栽培する一方で、自己の生存維持(自給用)のために多収の大唐米を栽培するという、「年貢用の良質米」と「自給用の大唐米」の二重構造を作り出した。
大唐米による食糧生産の安定化は、農村における人口の維持・増加を可能にし、荘園領主や守護大名による支配に対抗できるだけの、農民たちのたくましい自立的な経済基盤を育む要因となった。この流れはのちの戦国時代における兵糧米の確保や、近世の飢饉対策(救荒農書の刊行など)における品種選択の知恵へと引き継がれていくこととなる。