天灯鬼・竜灯鬼像 (てんとうき・りゅうとうきぞう)
【概説】
鎌倉時代に制作された、興福寺(奈良県)に伝わる木造の彫刻作品。仏法を妨げる悪鬼であり、本来は四天王などの足元に踏みつけられているはずの「邪鬼」を、一対の独立した主役としてユーモラスに表現した傑作である。
「邪鬼」の主役への抜擢とユーモラスな造形
仏教美術において、邪鬼は常に仏法の守護神(四天王など)に踏みつけられ、凝らしめられる脇役・悪役として描かれるのが常であった。しかし、この「天灯鬼・竜灯鬼像」では、その邪鬼が独立し、仏前を照らす灯籠を支えるという大役を与えられている。この主客の逆転という奇抜なアイデアが、本作の最大の特徴である。
赤く塗られた天灯鬼は、左肩に灯籠を力強く担ぎ、口を開けてユーモラスに踏ん張る動的なポーズをとる。一方、青い竜灯鬼は、体全体に竜を巻き付け、その竜の頭上に乗る灯籠を頭に乗せて静かに佇んでいる。対照的な「動」と「静」の構図の中に、鬼たちのどこか愛嬌のある表情や仕草が描かれており、見る者を惹きつける魅力に満ちている。
慶派仏師・康弁と鎌倉彫刻の写実主義
本作の制作者は、鎌倉彫刻の巨匠である運慶の三男、康弁(こうべん)である。竜灯鬼の体内からは、建保3年(1215年)に康弁が制作したことを示す銘札が発見されている。この時代は、武家社会の到来とともに、従来の貴族好みの優美なスタイルから、力強く写実的な表現へと美術のトレンドが大きく変化した時期であった。
康弁が所属した慶派は、徹底した観察に基づく骨格や筋肉の表現を得意としたが、それはこの異形の鬼たちにも遺憾なく発揮されている。天灯鬼の突き出た腹や浮き出た血管、竜灯鬼のぐっと踏みしめる足の指などの極めてリアルな解剖学的描写は、実在の人間をモデルにしたかのような説得力を持ち、鎌倉彫刻が到達した写実主義の頂点を示している。また、両像の目には玉眼(水晶をはめ込む技法)が用いられ、生き生きとした表情をさらに際立たせている。
興福寺復興と南都復興美術の歴史的背景
この像が作られた背景には、治治承4年(1180年)の平重衡による南都焼討がある。この戦火によって興福寺や東大寺の堂塔は壊滅的な被害を受けた。その後、鎌倉幕府や朝廷の支援、そして何よりも重源らの勧進活動によって、大規模な再建事業(南都復興)が進められた。
この復興事業において造仏の中心を担ったのが、運慶や快慶をはじめとする慶派仏師であった。「天灯鬼・竜灯鬼像」も、興福寺西金堂の復興に際して制作されたものである。未曾有の災害と戦乱を乗り越えようとする凄まじいエネルギーが、この斬新で生命力あふれる造形を生み出す原動力となったと言える。