康勝 (こうしょう)
【概説】
鎌倉時代に活躍した慶派の仏師。大仏師・運慶の四男であり、京の六波羅蜜寺に伝わる「空也上人立像」をはじめとする、極めて写実的で精神性の高い彫刻を遺した人物である。
慶派の正統を受け継ぐ運慶の四男
康勝は、日本彫刻史上最大の革新をもたらした大仏師・運慶の四男として生まれた。長男の湛慶(たんけい)をはじめとする兄弟らとともに、鎌倉時代初期における慶派工房の中核として活動した。その初見史料は、建仁3年(1203年)に行われた東大寺南大門金剛力士像の造立であり、父や兄たちとともに共同制作に携わったことが記録されている。彼は、慶派の最大の特徴である力強く現実的な表現力を若くして身につけ、その後も東大寺や法興寺などの大寺社から厚い信頼を得て制作を続けた。
傑作「空也上人立像」と写実主義の極致
康勝の名を今日まで不朽のものとしているのが、京都・六波羅蜜寺に所蔵される「空也上人立像」である。平安時代中期の浄土教の先駆者である空也が、胸に金鼓を下げ、杖を突きながら念仏を唱えて歩く姿を捉えた肖像彫刻である。最大の特徴は、空也の口から細い針金でつながれた6体の小さな阿弥陀如来像が吐き出されている点である。これは「南無阿弥陀仏」の6文字が阿弥陀仏となって現れたという伝承を視覚化したものであり、超現実的な宗教体験を徹底した写実性をもって表現している。痩せ細った肉体や、衣服の質感、歩みを進める足の描写など、人間味あふれるリアルな造形は鎌倉彫刻における写実主義の極致といえる。
鎌倉新仏教の精神性と仏像への投影
康勝が活躍した13世紀前半は、法然や親鸞、栄西らによって鎌倉新仏教が興隆し、人々が個人の救済や内省的な信仰へと向かった時代であった。康勝が承久2年(1220年)頃に制作した奈良・法華寺の「文殊菩薩騎獅像」(重要文化財)などの作品には、単なる写実にとどまらない、静謐で深い精神性がたたえられている。それまでの平安貴族が好んだ様式美(定朝様など)とは一線を画し、人間の内面の揺らぎや信仰の熱狂を物質として定着させようとした康勝の試みは、中世日本の宗教美術において極めて高い先駆性を持っていたのである。