五代十国 (ごだいじゅっこく)
907年〜960年
【概説】
唐の滅亡から宋(北宋)の建国に至るまで、中国大陸が激しい分裂と動乱に見舞われた約半世紀の時代。日本史においては平安時代中期にあたり、従来の対外関係の再編と民間貿易の発展を促す契機となった。
唐の滅亡と東アジア秩序の激変
907年、朱全忠が唐を滅ぼして後梁を建国した。これ以後、華北で興亡した5つの王朝(後梁・後唐・後晋・後漢・後周)を五代、地方に割拠した諸政権を十国と呼ぶ。この分裂期は、960年の宋(北宋)の建国、そして979年の統一まで続いた。
日本においては、すでに894年(寛平6年)に菅原道真の建議によって遣唐使の派遣が中止されていた。その直後に東アジアの超大国であった唐が崩壊したことは、日本に「大陸の先進文明を公式に摂取する」というこれまでの外交姿勢からの完全な自立を促すこととなった。これにより、日本独自の貴族文化である国風文化が成熟する歴史的環境が整うこととなった。
日宋貿易への過渡期としての民間交流
公式な外交ルート(遣唐使)が途絶えた一方で、日本と中国大陸との経済的・文化的結びつきが完全に断絶したわけではなかった。五代十国時代、特に中国南部に割拠した呉越などの国々は、日本との交易を積極的に求めた。筑前国の博多(大宰府)には、これら諸国からの民間商船が頻繁に来航し、平安貴族たちが珍重する香料、薬品、陶磁器、書籍などの唐物(からもの)をもたらした。
また、仏教界においても、僧侶たちが民間の商船に便乗して中国へ渡るなど、私的な文化交流が継続した。この五代十国期における民間主導の交易ネットワークは、のちの平氏政権などによる日宋貿易の隆盛へと直接つながる重要な基盤を形成したのである。