宋(北宋)
【概説】
960年に趙匡胤(太祖)が五代十国時代の混乱を収拾して建国した中国の統一王朝。日本の朝廷(平安時代)とは正式な国交を結ばなかったものの、海商による民間貿易(日宋貿易)が活発に展開された。この貿易を通じてもたらされた宋銭や文物は、日本の経済や文化に多大な影響を与えた。
五代十国の動乱終息と文治政治
907年の唐滅亡後、中国大陸では武断的な節度使が各地に割拠する五代十国時代の混乱が続いていた。960年、後周の武将であった趙匡胤(太祖)が建国したのが宋(北宋)である。宋は武力による簒奪を防ぐため、徹底した文治主義(文治政治)を採用した。科挙制度を整備して皇帝の独裁権力を強化し、中央集権的な官僚国家を構築した。また、農業生産の向上や商業の発展を背景に経済が著しく繁栄し、同時代の東アジアにおいて圧倒的な経済力と文化力を誇った。一方で軍事的には弱体化を招き、北方の遼(契丹)や西夏からの軍事的圧迫に苦しむこととなる。
日宋間の外交関係と民間貿易の隆盛
日本との関係において、宋は正式な国交(朝貢関係)を持たなかった。日本側は9世紀末に遣唐使を停止して以降、国家間の公式な外交使節の派遣を控えており、朝廷は対外関係に対して極めて消極的であった。他方、宋側は唐代までのような朝貢貿易にこだわらず、市舶司を設置して海商(民間商人)による海外渡航や私貿易を積極的に奨励した。
この結果、日本と宋の間では、国家間の外交枠組みに縛られない民間の商船による貿易(日宋貿易)が盛んに行われるようになった。宋の商船は主に大宰府管内の博多や、越前の敦賀などに頻繁に来航し、大宰府の官人や現地の豪族たちがこれに応接した。11世紀後半になると、日本の商人や僧侶(巡礼僧)も宋の商船に便乗して大陸へ渡るなど、人的・物的な交流は次第に活発化していった。
もたらされた唐物と日本社会への影響
宋から日本へもたらされた品々は「唐物(からもの)」と呼ばれ、平安貴族の熱狂的な需要を集めた。主な輸入品は、陶磁器、絹織物、香薬、そして書籍などである。とくに宋版の仏典や漢籍は、当時の日本の仏教界や貴族文化に最新の大陸知識をもたらした。日本からの輸出品としては、砂金や水銀、硫黄、真珠、木材などが珍重された。
また、日宋貿易の進展に伴い、大量の宋銭(銅銭)が日本に流入し始めたことも日本史上の重大な転換点である。12世紀末にかけて宋銭は日本国内で流通し始め、それまでの米や布などの物品貨幣に代わる貨幣経済の発展を促すこととなる。この北宋時代に築かれた民間貿易の基盤は、のちの南宋時代に平清盛が推進する国家的な日宋貿易へと引き継がれ、日本の経済や政治のあり方に決定的な影響を与えていくのである。