喜撰法師 (きせんほうし)
生没年不詳
【概説】
平安時代初期の僧、歌人。在原業平や小野小町らとともに六歌仙の一人に数えられる人物。伝記についての確実な史料は極めて乏しく、山城国宇治に隠棲したという伝説的な知識のみが知られている。
謎に包まれた隠逸の生涯
喜撰法師の生没年や出自などの具体的な伝歴は、ほとんど明らかになっていない。平安時代中期の歌学書『袋草紙』などによれば、桓武天皇の末裔とも、あるいは別の高貴な出自とも噂されるが、いずれも伝承の域を出ない。現在の京都府宇治市にある喜撰山(現在の喜撰山ダム付近)に庵を結んで隠棲していたと伝えられ、世俗を避けて仏道と和歌に生きた隠逸歌人の典型として後世に語り継がれた。彼が詠んだとされる確実な歌はごくわずかしか現存していない。
紀貫之による評価と後世への影響
紀貫之は『古今和歌集』の仮名序において、喜撰の歌風を「ことばかすかにして、はじめをはりたしかならず。いはば秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし(言葉づかいがほのかで、まとまりがはっきりしない。例えるならば、美しい秋の月を見ているうちに、夜明けの雲に遮られてしまったかのようである)」と評した。現存する代表歌には、『百人一首』にも採録された「わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいうなり」(古今集)がある。この歌は「宇治」と「憂し(世を辛く思う)」を掛けた傑作であり、後世の文人に大きな影響を与えた。また、江戸時代末期の黒船来航時に詠まれた有名な狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」の「上喜撰(高級宇治茶の銘柄)」は、この喜撰法師の名に由来している。