安倍貞任 (あべのさだとう)
1019年〜1062年
【概説】
平安時代後期の陸奥国の豪族であり、奥州安倍氏の指導者。父の安倍頼時の跡を継いで前九年の役を戦い抜き、陸奥守・源頼義率いる官軍に対して激しい抵抗を示した人物。
前九年の役の勃発と貞任の奮戦
安倍貞任の属する安倍氏は、陸奥国の奥六郡(現在の岩手県北上川流域)を拠点として強力な半独立勢力を築いていた。11世紀半ば、朝廷から派遣された陸奥守・源頼義と安倍氏の間で対立が深まり、前九年の役(1051年〜1062年)が勃発する。1057年に父の頼時が戦死すると、貞任は一族を率いて抵抗を継続した。同年の黄海の戦い(きのみのたたかい)では、大雪の中で源頼義・義家親子が率いる官軍を急襲し、これに壊滅的な打撃を与えて一時は圧倒的な優位に立った。
清原氏の介入と安倍氏の滅亡
苦境に陥った源頼義は、出羽国の強力な豪族であった清原氏(清原武則ら)を味方に引き入れることに成功する。これにより戦力差は一転し、貞任ら安倍一族は窮地に追い詰められた。貞任は拠点である衣川柵や厨川柵(くりやがわのさく)で徹底抗戦したものの、清原・源氏の連合軍の前に敗北した。貞任は捕らえられたのちに斬首され、ここに奥州安倍氏は滅亡することとなった。この乱の後、戦功のあった清原氏が奥州の覇権を握り、のちの奥州藤原氏の台頭へとつながる契機となった。