日吉神社(日吉大社)

高校日本史的重要度
★★

日吉神社(日吉大社)(ひよしじんじゃ/ひよしたいしゃ)

【概説】
近江国(現在の滋賀県大津市)の比叡山麓に鎮座する、全国の日枝・日吉・山王神社の総本宮。平安時代最澄比叡山延暦寺を建立してからは、同寺の有力な鎮守神(護法神)として信仰を集めた神社。

天台宗との結びつきと山王信仰

日吉神社は古くから比叡山地主神として崇められていたが、平安初期に最澄天台宗を開いて比叡山延暦寺を創建すると、その守護神として位置づけられるようになった。これにより、仏教と神道が融合する神仏習合が急速に進行した。日吉神社の神々は仏が仮に現れた姿(権現)であると解釈され、中国の天台山国清寺の守護神「山王」にちなんで「山王権現(さんのうごんげん)」と称された。この信仰は「山王信仰」として全国に普及し、のちの中世・近世における神仏習合思想に大きな影響を与えた。

僧兵による「強訴」のシンボル

平安時代中期以降、延暦寺が経済的・政治的な勢力を拡大させると、その武装化した大衆(僧兵)たちは自らの政治的主張を通すため、朝廷に対して武力的な威嚇を伴う「強訴(ごうそ)」を繰り返すようになった。この強訴の際、僧兵たちが「神威」の象徴として担ぎ出したのが、日吉神社の神輿(みこし)であった。神罰をおそれる朝廷や貴族たちは、日吉神社の神輿の入洛を防ぎきれず、しばしば要求を呑まざるを得なかった。院政期を現出した白河法皇が、自分の思い通りにならない「天下の三不如意」の一つとして挙げた「山法師(延暦寺僧兵)」の横暴は、この日吉神社の神輿を用いた強訴を背景としていた。

最終更新:
2026年6月27日 @ 09:56

日本史一問一答(ランダム)

Q. 室町時代から武士が小袖の上に着るようになった、袖がなく肩の部分が張った上着(のちの裃の原型)を何というか?
Q. 江戸時代における、将軍(幕府)が全国の支配権を握り、各地の大名に領国(藩)の支配を任せる国家統治の仕組みを何というか?
Q. 高村光太郎が、心を病んで亡くなった妻との純愛と悲しみを通底させて詠んだ詩集は何か?