今様 (いまよう)
【概説】
平安時代中期から末期の院政期にかけて大流行した、七五調四句を基本とする新興の歌謡。従来の雅楽や神楽などの伝統的芸能に対して「当世風・現代風」を意味し、庶民の歌謡が貴族や皇室にまで浸透して広く愛唱された。
庶民芸能から生まれた「当世風」の流行歌
「今様」とは文字通り「現代風」「当世風」という意味であり、それまでの雅楽や催馬楽(さいばら)といった伝統的・儀式的な宮廷音楽に対して、新しく登場した大衆的な流行歌を指した。基本的には七五調四句(七・五、七・五、七・五、七・五)の詩型を基調とし、親しみやすいリズムと、当時の人々の感情や世相を生き生きと映し出した歌詞が特徴であった。
この歌謡の源流は、地方の宿駅や港湾などに現れた遊女(あそび)や傀儡子(くぐつ)などの漂泊の芸能民にある。彼女らが歌う哀愁を帯びた、あるいは躍動的な歌謡が、交通の活発化や都市の発展に伴って平安京へと流入した。やがてその魅力は、従来の硬直化した宮廷文化に飽き足らなくなっていた公家や皇族といった特権階級をも熱狂させ、社会全体を巻き込む一大ムーブメントへと発展していった。
後白河法皇の狂熱と『梁塵秘抄』の編纂
今様の流行を語る上で欠かせない存在が、平安時代末期に政権を握った後白河法皇である。法皇の今様に対する執着は尋常なものではなく、昼夜を問わず歌い続け、声を枯らして喉を痛めることが度々あったと古典『平家物語』や自身の回想録に記されている。法皇は身分の低い今様の達人であった庶民女性(乙前など)を師と仰いで秘伝を伝授されるなど、当時の厳格な身分秩序を超越して今様の伝承に情熱を傾けた。
こうした狂熱の結実として、後白河法皇自らが今様の歌詞や歌唱の口伝をまとめた一大コレクションが『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』である。大部分は中世の戦乱の中で散逸してしまったが、20世紀初頭にその一部が再発見され、「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生まれけん」に代表される、当時の庶民の生々しい生活感情やユーモア、祈りの声を現代に伝える超一級の歴史史料となっている。
院政期という「過渡期」のエネルギーの象徴
今様がこれほどまでに爆発的な流行を見せた背景には、平安末期という社会の転換期、すなわち院政期特有のダイナミズムが存在する。藤原氏による摂関政治が衰退し、武士が台頭するなかで、それまでの雅で静的な「国風文化」の枠組みが揺らぎ始めていた。旧来の格式や秩序にとらわれない新しい社会のエネルギーが、庶民の生み出した雑多で力強い歌謡を通じて噴出したのが今様であった。
また、今様の歌詞には、観音信仰や熊野詣などの庶民信仰を歌った「法文歌(ほうもんうた)」も多く含まれていた。これは、当時の仏教が貴族独占のものから、民衆救済を掲げる中世的・大衆的な仏教へと移行していく世相を鮮明に映し出している。今様は単なる一時的な流行歌にとどまらず、古代から中世へと大きくうねりながら変革していく日本社会の精神世界を象徴する、極めて重要な文化現象であったといえる。