梁塵秘抄 (りょうじんひしょう)
【概説】
平安時代末期に後白河法皇によって編纂された、当時大流行していた歌謡である「今様」の歌詞やその口伝を集めた歌謡集。貴族的な美意識とは異なる庶民や芸能民の素朴な心情が生き生きと描かれており、過渡期における中世文化の息吹を伝える貴重な史料である。
後白河法皇の情熱と「今様」の成立
平安時代末期、和歌とは異なる新しい流行歌として台頭したのが今様(いまよう)である。「現代風の歌」を意味するこの歌謡は、主に七五調四句の形式を持ち、独特のメロディとリズムに乗せて歌われた。この今様に異常なまでの情熱を注いだのが、院政期に君臨した後白河法皇である。
後白河法皇は、美濃国青墓の遊女(傀儡子)の長であった乙前(おとまえ)という老齢の女性に師事し、喉を潰すほど昼夜を問わず熱心に今様の修行を重ねた。法皇の今様に対する傾倒は単なる道楽に留まらず、当代に散逸しつつあった今様の歌詞や歌唱の技術、歴史を後世に書き残そうとする強い使命感へと繋がった。こうして法皇自らの手によって、1179年(治承3年)頃に『梁塵秘抄』が編纂されたのである。書名は、あまりに素晴らしい歌声が部屋の梁の塵(ちり)をも動かしたという中国の故事に由来している。
庶民のリアルな声と歴史史料としての価値
『梁塵秘抄』に収められた今様には、当時の人々の多様な感情や生活の諸相が色鮮やかに描かれている。最も有名な「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」という歌は、子供の無邪気な姿に引き比べた人間の本質的な孤独や哀愁を表現したものとして広く知られている。
それまでの文学が主に貴族層の洗練された美意識に基づいていたのに対し、『梁塵秘抄』には神仏への素朴な祈りや、博打打ち、遊女、地方の庶民などの赤裸々な暮らしぶりが描写されている。これは、平安時代から鎌倉時代(中世)へと社会の主役がシフトしていく中で、庶民や芸能民の文化が台頭していた歴史的事実を裏付けるものである。原本の大部分は散逸してしまったが、明治から大正期にかけて一部が再発見され、それまで知られていなかった院政期の平民文化や庶民信仰の様相を伝える一級の歴史史料として、今日でも高く評価されている。