従三位

律令制の位階で、この位以上になると「公卿」と呼ばれ、国政の最高幹部として扱われたのは第何位か?
カテゴリ:
重要度
★★

従三位 (じゅさんみ)

701年〜

【概説】
律令制における位階の一つで、正一位から少初位下に至る位階制度の中で上から5番目に位置する高位。この位以上に昇った貴族は「公卿(くぎょう)」と呼ばれ、太政官の議政官として国政の最高意思決定に参画する資格を得た。

「通貴」から「公卿」への境界線

律令制下の日本においては、個人の身分や就くことのできる官職を規定する官位相当制が敷かれていた。その中で、「三位(正三位・従三位)」は貴族社会における決定的な分水嶺であった。四位・五位の貴族が実務を担う官僚として「通貴(つうき)」と呼ばれたのに対し、三位以上の者は「貴(き)」あるいは「公卿」(上達部)と称され、特権階層の頂点に位置づけられた。したがって、四位から従三位への昇進は、単なる一階級の昇給ではなく、国家の政務を指導する最高幹部へと仲間入りすることを意味する極めて重大な転機であった。

平安貴族社会における従三位の特権と意義

従三位以上の公卿に達した者には、政治的・経済的に絶大な特権が与えられた。経済面では、広大な位田(いでん)や多くの資人(しじん)(身の回りの世話や護衛を行う使用人)が支給され、これらは一族の繁栄を支える強固な経済基盤となった。また、子や孫に対して自動的に一定の位階を与える蔭位の制(おんいのせい)の恩恵も、従三位以上になると飛躍的に大きくなり、その特権を子孫へ世襲することが容易となった。平安時代中期以降、摂関政治が最盛期を迎えると、この従三位以上の地位は藤原北家をはじめとする特定の有力家門(門閥貴族)によって独占され、日本の政治構造はより閉鎖的な貴族社会へと変容していった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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