逃亡
【概説】
律令制下において、過酷な租税や兵役などの負担から逃れるために、農民が本籍地を離れて行方をくらます抵抗行動。戸籍から不法に離脱することで税の徴収を免れようとしたもので、律令支配の前提である人身支配を根底から揺るがす深刻な社会問題となった。
過酷な税負担と農民の窮乏
奈良時代の律令制下における良民(一般の農民)の生活は、極めて過酷であった。農民には、収穫の約3%を納める租(そ)だけでなく、特産物を納める調(ちょう)、労役の代わりに布を納める庸(よう)が課されていた。特に調や庸は、農民自身が都まで運ぶ必要があり(運脚)、その道中での食糧も自己負担であったため、途中で行き倒れや飢死をする者が後を絶たなかった。さらに、年間最大60日におよぶ土木工事などの労働義務である雑徭(ぞうよう)や、東国の防備にあたる防人(さきもり)などの兵役、そして国衙(こくが)から強制的に貸し付けられた稲の利息を支払う出挙(すいこ)が農民の生活を限界まで圧迫した。こうした窮状から抜け出すための究極の生存戦略として、農民たちは自らの土地を捨てる「逃亡」を選んだのである。
「逃亡」と「浮浪」の実態と政府の対応
律令制下の不法な移動には、大きく分けて「逃亡」と「浮浪(ふろう)」が存在した。逃亡は本籍地から姿を消して行方をくらまし、税を一切納めない状態を指す。これに対し、浮浪は本籍地を離れて他国を漂流しつつも、移動先(浮浪先)で身元が把握され、その地で租などの一部の税を納めている状態を指した。当初、律令政府は逃亡した者を厳しく追捕し、本籍地に送還(返送)しようとした。しかし、逃亡者の増大に対処しきれなくなると、方針を転換せざるを得なくなった。政府は浮浪者をその土地に定住させ、臨時に課税対象とする「浮浪人(ふろうにん)」としての登録を容認するなど、現実的な妥協策をとるようになっていった。
律令体制の動揺と歴史的意義
農民の相次ぐ逃亡は、国家財政と防衛体制に致命的な打撃を与えた。律令国家は戸籍に基づいて人民を把握し、口分田を与えて税を徴収する班田収授法を基本方針としていたが、農民の逃亡によって戸籍と実際の居住地が乖離し、班田の収授そのものが機能不全に陥った。さらに、逃亡した農民の一部は、税負担の及ばない貴族や大寺社が開発を進めていた初期荘園の労働力(浮浪人や私領民)として吸収されていった。農民の逃亡という形での「静かなる抵抗」は、国家による個別の人身支配を不可能にし、やがて律令支配が崩壊して、土地を基準に課税する平安時代の王朝国家体制や荘園公領制へと移行していく歴史的な契機となった。