来迎図 (らいごうず)
平安時代中期〜後期
【概説】
念仏を唱える者の臨終に際し、阿弥陀如来が諸菩薩を率いて極楽浄土から迎えに来る様子を描いた仏画。平安時代中期以降に興隆した浄土教信仰を背景に、極楽往生を希求する人々の精神的支えとして盛んに制作された。
浄土教の浸透と来迎図の社会的背景
平安時代中期の1052年(永承7年)は、仏法の正しい教えが衰退する「末法」の第1年とされ、貴族から庶民に至るまで社会全体に強い末法思想の不安が広がっていた。この不安の中、恵心僧都源信が著した『往生要集』などを契機として、阿弥陀如来に帰依して念仏を唱えれば死後に極楽浄土へ往生できるという浄土教の信仰が急速に定着した。人々にとって臨終の瞬間は、極楽へ往生できるか地獄へ落ちるかの境界線であり、最も重要視された。その臨終の場に掛けられ、信者に阿弥陀如来の到来を確信させ、心を安穏に保たせる(正念往生)ための視覚的メディアとして、来迎図は必要不可欠なものとなったのである。
美術史的意義と表現の変遷
来迎図は、信仰の道具にとどまらず、日本独自の美意識(和様)が発揮された平安美術の極致でもある。代表作である宇治の平等院鳳凰堂扉絵(国宝)には、日本の穏やかな山水を背景に、優雅に降下する阿弥陀如来の姿が描かれており、中国風の絵画から大和絵(やまとえ)への発展の過程を示している。また、高野山に伝わる『高野山 聖衆来迎図』(国宝)は、阿弥陀如来と二十五菩薩が音楽を奏でながら賑やかに往生者を迎えに来る「聖衆来迎」を華麗に描いている。平安後期の穏やかな描写から、鎌倉時代へと入るにつれて、一刻も早い救済を求める人々の心理を反映した、斜め上から急降下するようなスピード感溢れる「早来迎(急来迎)」へと、その表現様式は変化・多様化していった。