伝符 (でんぷ)
【概説】
律令制下の日本において、官人が公務で移動する際に伝馬(てんま)を利用する資格を証明した木製または金属製の割符。中央の太政官から交付され、地方の郡家に置かれた「伝馬」を徴発・使用する際の身分証明書として機能した。駅制における「駅鈴(えきれい)」と並び、古代国家の地方支配を支えた交通制度の根幹をなす重要資料である。
古代交通体系における「伝馬制」と伝符
大化の改新以降、律令国家の形成にともない、中央と地方を結ぶ交通網の整備が進められた。この交通制度は、主に公文書の伝達や緊急事態に対応する「駅制(えきせい)」と、国司の赴任や送迎、中央への公物の運搬などに用いられた「伝馬制(でんませい)」の二本立てで運用された。
駅制が中央と国府を結ぶ「駅路」沿いの駅家に駅馬を配備したのに対し、伝馬制は主に郡家(郡役所)に伝馬(原則として各郡5頭)を配備する仕組みであった。この伝馬を利用する権利を示す通行証が伝符である。国司などの官人は、公務の旅の途上で郡家(または伝家)に伝符を提示し、次の目的地までの馬を調達した。
伝符の仕組みと厳格な管理
伝符は、中央政府である太政官から、国司などの地方官や使者に対して、必要とされる馬の数に応じて支給された。形状は割符(二つに分かれる札)となっており、一方を中央に留め置き、他方を官人が携行した。伝符には、支給される馬の頭数を示す刻み目(歯)がつけられており、利用する際には現地に保管されている台帳や割符の片割れと照合することで、偽造や不正利用を防ぐ仕組みが取られていた。
こうした厳格な管理は、国家の貴重な財産である軍馬・伝馬の濫用を防ぐために不可欠であった。養老律令の「軍防令」などの規定により、公務以外の私的な旅行で伝符や駅鈴を使用することは厳しく禁じられていた。
駅鈴との機能差と制度の変容
伝符と類似した機能を持つものに「駅鈴」があるが、これらは用途と支給対象が異なっていた。駅鈴が緊急の公使(駅使)に与えられ、夜間であっても駅馬を乗り継いで迅速に移動するためのものであったのに対し、伝符は国司の交代や朝廷への朝貢など、比較的計画的で緩やかな公務の移動に用いられた。
しかし、平安時代中期に入り律令体制が弛緩すると、地方の郡家の衰退とともに伝馬制も次第に機能しなくなっていった。国司が任地へ下向する際にも、自前で馬を用意したり、現地の豪族から直接徴発したりする傾向が強まり、これにともなって公式な身分証明書としての伝符もその実用的価値を失い、形骸化していった。